スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

悪魔がにくい / 平田隆夫とセルスターズ (1971) 

Sellstars.jpg



「ハチのムサシは死んだのさ」のみの一発屋と思われがちな平田隆夫とセルスターズの最大のヒット曲は実はこちらだ、というのは、知ってる人は誰でも知ってるし、知らない人は興味すらないという類のトリビアだろう。

そもそもこの日本歌謡史に燦然と残るべき奇妙なバンド(?)の存在について、どの程度の認識率があるのかについてすら、自分には判然としない。
自分と同世代であればほぼ100%の認識率があるだろうと思うのだが、自分より一回り下の世代くらいになると、存在すら認識されてない可能性もあるのかな、と思ってる。
センセーショナルな登場の仕方に比べて、リバイバル評価的な動きがほぼ皆無なグループなので、リアルタイム体験世代以外への浸透度はかなり低いんじゃないだろうか。
まあ、実際にリアルタイムで見てないとあのインパクトは伝わりづらいところはあるかもしれない。

1971年に発売された彼らのデビュー曲にあたるこの曲は、翌1972年の2月、オリコン1位に輝いている。
当時のチャートを見ると、トワエモワ、ペドロ&カプリシャス、尾崎紀世彦、欧陽菲菲なんかが上位にいて、意外とベタベタな歌謡曲路線よりもかなりポップス色が強いことに気づく。この年の後半に郷ひろみ、アグネス・チャン、麻丘めぐみらがデビューし、翌年にかけて野口五郎、西城秀樹、中三トリオらがブレイクするわけなので、グループサウンズブームが去り、アイドル歌謡曲システムが完全に確立する前の過渡期にあたるということなのだろう。

セルスターズは明らかにグループサウンズではなかったけれど、フォークでもなかった。ムード歌謡グループでもなかったし、ピンキーとキラーズの二番煎じというわけでもなかった。
自分たちで曲を作って演奏しているのだから、「ニューミュージック」的ではあるが、この当時はそーゆーカテゴリーはなかった。
ルックス的にはパンタロンにトンボ眼鏡やヒゲや長髪、といかにもアンダーグラウンド的、ヒッピー的なキャラクターを前面に出してたので、立ち位置としてはフォーク寄りだったのだろうけれど、その割に曲がストレートにポップス的すぎた。
彼らの狙いとしては日本版セルジオメンデス&ブラジル'66だったらしいが、ラテンな感じはあまりしない。けれど、確かにスパニッシュ風のギターや、控えめにさらっと入るホーンなんかに、ラテンミュージックが主流だったロック以前の「洋楽」の匂いを感じることはできる。

この曲の次のシングルが「ハチのムサシは死んだのさ」なのだが、これはオリコンの順位で見ると最高位が8位。トータルでも20万枚程度しか売れておらず、65万枚も売れた「悪魔がにくい」に比べるとあくまでセールス的には下がってることになる。
いわゆる一発屋が陥りがちなシークエンスと言えるだろう。
が、一般には彼らが記憶されているのは「ハチのムサシは死んだのさ」によるところが大きい。こちらの方が、歌詞のユニークさ、振り付けの面白さもあって若年層にもアピールしたために実際のセールス以上に知名度が高いということなのだろう。
実際、この年に最初で最後の出場を果たした紅白歌合戦で彼らが歌ったのは「ハチのムサシは死んだのさ」だった。

自分も彼らの存在を初めて認識したのは「ハチのムサシは死んだのさ」によってで、その後「悪魔がにくい」も彼らの曲であることを追認したというシークエンスだったりする。曲の完成度としても「ハチのムサシは死んだのさ」の方が上なのは間違いないが、それでも自分は、彼らのユニークさを強調するような「ハチのムサシは死んだのさ」よりも、大ヒット曲にも関わらず顧みられることの少ない「悪魔がにくい」の方が、彼らのポジションをよく表しているのではないかという気がする。

まあ、冷静に考えてみると、歌も演奏もかなりビミョーなレベルだったりするわけだけど。


「ゴールデン☆ベスト」
いきなり1曲目が「悪魔がにくい」。
「生きながらブルースに葬られ」がJoplinのカバーなのかどうかが気になります。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://acnalbasacnoom.blog65.fc2.com/tb.php/3-bfe38b6e

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。