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ひとりぼっちのサーカス / 石川ひとみ (1979) 

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石川ひとみがアイドル歌手として大成しなかったのは、昭和歌謡界七不思議の一つと言っても良いほどのミステイクなのだが、それを時代のせいだけにしてしまうのも無理があるような気はしている。


以前、大場久美子に関するエントリで、1970年代後半を「アイドル冬の時代」と形容したが、実はその前提となる「アイドル歌謡曲システム」が日本の音楽マーケットにおいて完成したのは1972~73年頃でしかない(「悪魔がにくい」 / 平田隆夫とセルスターズ参照)。
いわゆる中三トリオをヒエラルキーの頂点にして構成されたシステムは、「中三トリオ」から山口百恵が突出し、予想よりも早く脱アイドル化したことによって崩壊せざるを得なくなってしまった。
中三トリオよりも上の世代の麻丘めぐみやアグネス・チャンは結婚や学業といった自らのキャリア形成のために途中退場を選択し芸能界を去った。
彼女らが早退したあと、本来ならば中心的存在となるべきだった同世代のキャンディーズは、ピンクレディーという幼児・小児女子向けのトリックスターとの比較を余儀なくされ、歌謡システムの中では埋没させられて早期解散へと追い込まれた(「解散ビジネス」の見事さには特筆すべきものがあったが)。
中三トリオの残りの二人、実力的にはナンバーワンだったはずの森昌子は閉鎖的な「演歌」の世界にその身を幽閉されて頭を押さえつけられ、本来ならばトリオの中核を成すはずだった桜田淳子は山口百恵に抜かれたショックから進むべき方向性を見失い迷走してしまった。
要するに1978年頃には「歌謡界」に女性歌手は山口百恵一人だけしか存在し得ないかのような独占状態にあり、「歌謡曲システム」に依拠する限りそこにアイドル歌手(特に新人の)が食い込む余地は全くなかったのだった(ちなみに、男性アイドルに関してはやや事情が異なるものの、新御三家の後継を作れなかったという点では状況は同じだったとも言える)。

「アイドル歌謡」にとって、新陳代謝ができないというのは致命的だ。
なぜなら、既存のアイドルは年を取っていくのだから。

この時期のいわゆる「ニューミュージック・ブーム」は、70年代前半に隆盛した「フォークソング」が、アイドル歌謡の危機とも言うべき状況に乗じ、歌謡曲システムの予定調和に対する軽いアンチテーゼとして復権したものだったという見方が正しいのだろう。
そういう意味では山口百恵とピンクレディーがニューミュージック・ブームを産んだという言い方もできるのだが、それを述べるのが本稿の目的ではないので割愛。

危機を迎えたアイドル歌謡側が取った方策の一つは、「アイドル歌謡曲にニューミュージックのエッセンスを取り込む」というものであった。
要するにニューミュージック系のライターにニューミュージック風の曲を書かせるというだけの安易な戦術なのだが、結果的には1980年代にアイドル歌謡曲を空前の隆盛に導くことになる。意外と誰でも考えつく正攻法にこそ正解があるということなのだろう。
一方でニューミュージック系のアイドルを作るという試み(沢田聖子や竹内まりやはこのコンセプトか?渡辺真知子はビミョー)もなされていたが、こちらはコンセプトに見合った素材を発掘するのが難しく、「アイドル」の路線としては無理があった。


結果論から言うと、この手法の確実な成果は1980年の松田聖子の登場を待たねばならず、そこに至るまでの過程は、今思えばかなりトホホ気味の試行錯誤の連続だった。

*細かいことを言えば、山口百恵やキャンディーズも宇崎竜童、吉田拓郎を起用してるので、「冬の時代」云々以前に両者のクロスオーバーは始まっていたのだろうが、彼らは自分が歌うために書く楽曲と、他人に提供する楽曲を明確に区別していたという点で既に「ニューミュージック」的ではなく、職業作家的な存在になっていたと言えるだろう。


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そんな「冬の時代」を代表するアイドル石川ひとみの「冬の時代」を象徴する代表曲。
上述の「ニューミュージック化」政策に基づき、谷山浩子が書いた曲で、のちに本人も「サーカス」というタイトルでセルフカバーしている。
「ニューミュージックのエッセンス」というコンセプトはわかるとしても、楽曲を依頼する相手を間違えている。

だって

さあ目をさませ 人形たち
さあ目をさませ ナイフに鏡
さあ目をさませ ひとりの部屋の
午前零時のお祭りに

さあ目をさませ 人形たち
くだけた心 つつんでおくれ
ひとりの部屋の ひとりサーカス
せめて涙のかわくまで

だよ。

石川ひとみはデビュー曲からして「右向け右 Ah 心が叫ぶ 左に行く彼追っちゃいけない」みたいな感じで、やや物憂いタイプのキャラで売っていたので、その路線を踏襲したということなのかもしれないけど、いくら何でもこれはアイドルが歌う歌じゃない。

谷山浩子ワールドが暴走している。

当時「もうひとりのアリス」がフェイヴァリットアルバムだった自分のような谷山ヲタでさえ、石川ひとみがこの曲を歌うのをテレビの歌謡番組で見て、軽くひいてしまったくらいだ。
メロディーだけを取り上げると、歌謡ポップスとして聴いてもそれほど違和感はなく、確かに良い曲ではあるが、それは山崎ハコの「人間まがい」が良い曲だというのに近いニュアンスがある。
喩えがわかりにくくて申し訳ないが、この辺が失恋ソングライターとしての谷山浩子と中島みゆきの大きな差で、どちらかというと非日常的な世界に逃避してしまいがちの谷山浩子の失恋ソングは重過ぎてダサいのだ。いわゆるメルヒェン的な世界は、ハッピーソングであれば容認できても、失恋ソングの舞台装置としては却ってドロドロした怨念を惹起させてしまう。それでは「アイドル歌謡」としては成立しない。

「私の青い鳥」が許されるのは、それが幸福なラブソングであるからなのだ。

蛇足の上に勝手な想像でしかないのだけど、この曲は当時の谷山の新作だった「鏡の中のあなたへ」とイメージが著しく重なるので、「鏡の中のあなたへ」の捨て曲だったんじゃないかという気はする。

石川ひとみは、正統派アイドル的なルックスと高い歌唱力の割に売れなかったのは、「冬の時代」だったからではなく、プロモーション戦略のミスに負う部分も大きかったのではないか。
今振り返ると、天地真理、アグネス・チャン、キャンディーズと「アイドル歌謡」の王道を走っていた渡辺プロ(現ワタナベエンターテインメント)にとって、石川ひとみのような好素材をアイドルとして成功させられなかったというのは、考えられないような大失態であり、ある意味で大きな転機となる事件だったのではないか。
少なくとも同期の石野真子に大きな差をつけられたのは、斜陽気味の渡辺プロに対し、バーニングが上り調子だったというプロダクションの勢いの差もあったのかもしれないが、吉田拓郎を起用しながら正統派アイドル路線を崩すことがなかった石野真子のプロモーションの妙に比べると、石川ひとみのプロモーションには時代への迎合以外の戦略性が見えなかったことも事実である。
あるいは、この時期の石川ひとみの迷走は、戦後の芸能界を席巻してきた渡辺プロの衰退を象徴しているのかもしれない、とやや大げさな見解を述べておこう。

渡辺プロは、女性アイドル全盛時代だった1980年代以降、おニャン子出身の岩井由紀子と河合その子を除いて、アイドルの売り出しはほとんど成功していない。
1990年代以降はお笑い部門に傾注し、今では吉本と並ぶお笑いタレント事務所と言って良いだろう。
その転換に、石川ひとみでの失敗が微妙な影を落としていると言えなくはないだろうか。

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石川ひとみといえば、アイドル歌謡が勢いを取り戻し始めた1981年に放った「まちぶせ」の大ヒットが有名だが、この曲も松任谷由実の曲だった。
デビューして最初の2曲(「右向け右」「くるみ割り人形」)こそ、宮川泰、馬飼野康二といういわゆる歌謡界の大御所が書いているが、3作目の「鮮やかな微笑み」は西島三重子(「池上線」のヒットで有名)が書いており、4作目がこの「ひとりぼっちのサーカス」。
その後も「ハート通信」(吉田拓郎)、「夢番地一丁目」(芳野藤丸)とニューミュージック系のライターをコンスタントに起用しており、「まちぶせ」の大ヒットは足かけ3年のニューミュージック路線がようやく花開いたということだろうか。
と言っても、この曲は1976年に三木聖子が歌っており、ある意味アイドル歌謡曲のカバーバージョンという位置づけでもある。
あまりアイドル的ではない楽曲かもしれないが、オリジナルのひどい歌唱と比較してしまうと、あまりに正統的で本格的な石川ひとみの歌唱力は否が応でも際立ってしまう。
三木聖子なんて相当にマイナーな存在なので、皆が比べられたわけではないだろうけれど、あのひどい曲がここまで見事にリファインされるとは俄かには信じがたいほどの衝撃を受けたことを記憶している。
作曲者自身のセルフカバーを聴いた時にも同じような思いを抱いたので、この曲は石川ひとみに歌われるために生まれて来た曲なのだろう。論理的ではないけれど。
まさに一期一会というものなのだろうが、それが同事務所の歌手が歌った曲のカバーバージョンだという点を考えると、この出会いに偶然性以外の要素を見つけるのは難しい。

何となく、3年間継続した路線がようやく花開いたというよりは、どうにもうまくいかないのでヤケクソで古い曲を引っ張り出して来たらたまたま嵌まったという印象がないでもない。
偶然だとしても「まちぶせ」に会えたことは、歌手石川ひとみにとっては僥倖だったけれど、そこまでに無為な時間を過ごしてしまったこともまた事実である。
不遇の時代を経て「まちぶせ」が嵌まったことで、彼女のキャリアは典型的な一発屋としての色彩に彩られてしまった。


今改めて「ひとりぼっちのサーカス」を聴き直してみると、そのエキセントリックな世界観に比して、意外とマイナー調の歌謡ポップスとして成立していることに気づく。
エグい内容の歌詞をさらりと歌っている石川ひとみのヴォーカルの真っ直ぐさは見事の一言である。特に「♪ひとりの部屋の ひとりサーカス」のあたりの伸びやかな高音には感動すら覚える。
何だか羞恥プレイにも似た倒錯感とまでいうと語弊があるが、歌われている世界観と歌唱法とのギャップに萌えるのだ。

あるいは彼女が早い時期にアイドル歌手としてのポジションを確立していれば、この路線もありだったのかもしれないと思わないでもない。



石川ひとみ★BEST MYこれ!クション
代表的なシングル曲が概ね収められているベスト盤。



石川ひとみといえば「プリンプリン物語」。
「プリンプリン物語」といえば石川ひとみ。
名曲「アクタ共和国国歌」(石川ひとみは歌っていないけど)も収録。

「知能指数は1300!」


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