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ひとりぼっちのサーカス / 石川ひとみ (1979) 

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石川ひとみがアイドル歌手として大成しなかったのは、昭和歌謡界七不思議の一つと言っても良いほどのミステイクなのだが、それを時代のせいだけにしてしまうのも無理があるような気はしている。


以前、大場久美子に関するエントリで、1970年代後半を「アイドル冬の時代」と形容したが、実はその前提となる「アイドル歌謡曲システム」が日本の音楽マーケットにおいて完成したのは1972~73年頃でしかない(「悪魔がにくい」 / 平田隆夫とセルスターズ参照)。
いわゆる中三トリオをヒエラルキーの頂点にして構成されたシステムは、「中三トリオ」から山口百恵が突出し、予想よりも早く脱アイドル化したことによって崩壊せざるを得なくなってしまった。
中三トリオよりも上の世代の麻丘めぐみやアグネス・チャンは結婚や学業といった自らのキャリア形成のために途中退場を選択し芸能界を去った。
彼女らが早退したあと、本来ならば中心的存在となるべきだった同世代のキャンディーズは、ピンクレディーという幼児・小児女子向けのトリックスターとの比較を余儀なくされ、歌謡システムの中では埋没させられて早期解散へと追い込まれた(「解散ビジネス」の見事さには特筆すべきものがあったが)。
中三トリオの残りの二人、実力的にはナンバーワンだったはずの森昌子は閉鎖的な「演歌」の世界にその身を幽閉されて頭を押さえつけられ、本来ならばトリオの中核を成すはずだった桜田淳子は山口百恵に抜かれたショックから進むべき方向性を見失い迷走してしまった。
要するに1978年頃には「歌謡界」に女性歌手は山口百恵一人だけしか存在し得ないかのような独占状態にあり、「歌謡曲システム」に依拠する限りそこにアイドル歌手(特に新人の)が食い込む余地は全くなかったのだった(ちなみに、男性アイドルに関してはやや事情が異なるものの、新御三家の後継を作れなかったという点では状況は同じだったとも言える)。

「アイドル歌謡」にとって、新陳代謝ができないというのは致命的だ。
なぜなら、既存のアイドルは年を取っていくのだから。

この時期のいわゆる「ニューミュージック・ブーム」は、70年代前半に隆盛した「フォークソング」が、アイドル歌謡の危機とも言うべき状況に乗じ、歌謡曲システムの予定調和に対する軽いアンチテーゼとして復権したものだったという見方が正しいのだろう。
そういう意味では山口百恵とピンクレディーがニューミュージック・ブームを産んだという言い方もできるのだが、それを述べるのが本稿の目的ではないので割愛。

危機を迎えたアイドル歌謡側が取った方策の一つは、「アイドル歌謡曲にニューミュージックのエッセンスを取り込む」というものであった。
要するにニューミュージック系のライターにニューミュージック風の曲を書かせるというだけの安易な戦術なのだが、結果的には1980年代にアイドル歌謡曲を空前の隆盛に導くことになる。意外と誰でも考えつく正攻法にこそ正解があるということなのだろう。
一方でニューミュージック系のアイドルを作るという試み(沢田聖子や竹内まりやはこのコンセプトか?渡辺真知子はビミョー)もなされていたが、こちらはコンセプトに見合った素材を発掘するのが難しく、「アイドル」の路線としては無理があった。


結果論から言うと、この手法の確実な成果は1980年の松田聖子の登場を待たねばならず、そこに至るまでの過程は、今思えばかなりトホホ気味の試行錯誤の連続だった。

*細かいことを言えば、山口百恵やキャンディーズも宇崎竜童、吉田拓郎を起用してるので、「冬の時代」云々以前に両者のクロスオーバーは始まっていたのだろうが、彼らは自分が歌うために書く楽曲と、他人に提供する楽曲を明確に区別していたという点で既に「ニューミュージック」的ではなく、職業作家的な存在になっていたと言えるだろう。


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そんな「冬の時代」を代表するアイドル石川ひとみの「冬の時代」を象徴する代表曲。
上述の「ニューミュージック化」政策に基づき、谷山浩子が書いた曲で、のちに本人も「サーカス」というタイトルでセルフカバーしている。
「ニューミュージックのエッセンス」というコンセプトはわかるとしても、楽曲を依頼する相手を間違えている。

だって

さあ目をさませ 人形たち
さあ目をさませ ナイフに鏡
さあ目をさませ ひとりの部屋の
午前零時のお祭りに

さあ目をさませ 人形たち
くだけた心 つつんでおくれ
ひとりの部屋の ひとりサーカス
せめて涙のかわくまで

だよ。

石川ひとみはデビュー曲からして「右向け右 Ah 心が叫ぶ 左に行く彼追っちゃいけない」みたいな感じで、やや物憂いタイプのキャラで売っていたので、その路線を踏襲したということなのかもしれないけど、いくら何でもこれはアイドルが歌う歌じゃない。

谷山浩子ワールドが暴走している。

当時「もうひとりのアリス」がフェイヴァリットアルバムだった自分のような谷山ヲタでさえ、石川ひとみがこの曲を歌うのをテレビの歌謡番組で見て、軽くひいてしまったくらいだ。
メロディーだけを取り上げると、歌謡ポップスとして聴いてもそれほど違和感はなく、確かに良い曲ではあるが、それは山崎ハコの「人間まがい」が良い曲だというのに近いニュアンスがある。
喩えがわかりにくくて申し訳ないが、この辺が失恋ソングライターとしての谷山浩子と中島みゆきの大きな差で、どちらかというと非日常的な世界に逃避してしまいがちの谷山浩子の失恋ソングは重過ぎてダサいのだ。いわゆるメルヒェン的な世界は、ハッピーソングであれば容認できても、失恋ソングの舞台装置としては却ってドロドロした怨念を惹起させてしまう。それでは「アイドル歌謡」としては成立しない。

「私の青い鳥」が許されるのは、それが幸福なラブソングであるからなのだ。

蛇足の上に勝手な想像でしかないのだけど、この曲は当時の谷山の新作だった「鏡の中のあなたへ」とイメージが著しく重なるので、「鏡の中のあなたへ」の捨て曲だったんじゃないかという気はする。

石川ひとみは、正統派アイドル的なルックスと高い歌唱力の割に売れなかったのは、「冬の時代」だったからではなく、プロモーション戦略のミスに負う部分も大きかったのではないか。
今振り返ると、天地真理、アグネス・チャン、キャンディーズと「アイドル歌謡」の王道を走っていた渡辺プロ(現ワタナベエンターテインメント)にとって、石川ひとみのような好素材をアイドルとして成功させられなかったというのは、考えられないような大失態であり、ある意味で大きな転機となる事件だったのではないか。
少なくとも同期の石野真子に大きな差をつけられたのは、斜陽気味の渡辺プロに対し、バーニングが上り調子だったというプロダクションの勢いの差もあったのかもしれないが、吉田拓郎を起用しながら正統派アイドル路線を崩すことがなかった石野真子のプロモーションの妙に比べると、石川ひとみのプロモーションには時代への迎合以外の戦略性が見えなかったことも事実である。
あるいは、この時期の石川ひとみの迷走は、戦後の芸能界を席巻してきた渡辺プロの衰退を象徴しているのかもしれない、とやや大げさな見解を述べておこう。

渡辺プロは、女性アイドル全盛時代だった1980年代以降、おニャン子出身の岩井由紀子と河合その子を除いて、アイドルの売り出しはほとんど成功していない。
1990年代以降はお笑い部門に傾注し、今では吉本と並ぶお笑いタレント事務所と言って良いだろう。
その転換に、石川ひとみでの失敗が微妙な影を落としていると言えなくはないだろうか。

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石川ひとみといえば、アイドル歌謡が勢いを取り戻し始めた1981年に放った「まちぶせ」の大ヒットが有名だが、この曲も松任谷由実の曲だった。
デビューして最初の2曲(「右向け右」「くるみ割り人形」)こそ、宮川泰、馬飼野康二といういわゆる歌謡界の大御所が書いているが、3作目の「鮮やかな微笑み」は西島三重子(「池上線」のヒットで有名)が書いており、4作目がこの「ひとりぼっちのサーカス」。
その後も「ハート通信」(吉田拓郎)、「夢番地一丁目」(芳野藤丸)とニューミュージック系のライターをコンスタントに起用しており、「まちぶせ」の大ヒットは足かけ3年のニューミュージック路線がようやく花開いたということだろうか。
と言っても、この曲は1976年に三木聖子が歌っており、ある意味アイドル歌謡曲のカバーバージョンという位置づけでもある。
あまりアイドル的ではない楽曲かもしれないが、オリジナルのひどい歌唱と比較してしまうと、あまりに正統的で本格的な石川ひとみの歌唱力は否が応でも際立ってしまう。
三木聖子なんて相当にマイナーな存在なので、皆が比べられたわけではないだろうけれど、あのひどい曲がここまで見事にリファインされるとは俄かには信じがたいほどの衝撃を受けたことを記憶している。
作曲者自身のセルフカバーを聴いた時にも同じような思いを抱いたので、この曲は石川ひとみに歌われるために生まれて来た曲なのだろう。論理的ではないけれど。
まさに一期一会というものなのだろうが、それが同事務所の歌手が歌った曲のカバーバージョンだという点を考えると、この出会いに偶然性以外の要素を見つけるのは難しい。

何となく、3年間継続した路線がようやく花開いたというよりは、どうにもうまくいかないのでヤケクソで古い曲を引っ張り出して来たらたまたま嵌まったという印象がないでもない。
偶然だとしても「まちぶせ」に会えたことは、歌手石川ひとみにとっては僥倖だったけれど、そこまでに無為な時間を過ごしてしまったこともまた事実である。
不遇の時代を経て「まちぶせ」が嵌まったことで、彼女のキャリアは典型的な一発屋としての色彩に彩られてしまった。


今改めて「ひとりぼっちのサーカス」を聴き直してみると、そのエキセントリックな世界観に比して、意外とマイナー調の歌謡ポップスとして成立していることに気づく。
エグい内容の歌詞をさらりと歌っている石川ひとみのヴォーカルの真っ直ぐさは見事の一言である。特に「♪ひとりの部屋の ひとりサーカス」のあたりの伸びやかな高音には感動すら覚える。
何だか羞恥プレイにも似た倒錯感とまでいうと語弊があるが、歌われている世界観と歌唱法とのギャップに萌えるのだ。

あるいは彼女が早い時期にアイドル歌手としてのポジションを確立していれば、この路線もありだったのかもしれないと思わないでもない。



石川ひとみ★BEST MYこれ!クション
代表的なシングル曲が概ね収められているベスト盤。



石川ひとみといえば「プリンプリン物語」。
「プリンプリン物語」といえば石川ひとみ。
名曲「アクタ共和国国歌」(石川ひとみは歌っていないけど)も収録。

「知能指数は1300!」


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Ways To Be Wicked / Lone Justice (1985) 

「ストリート・オブ・ファイヤー」繋がりでもう一曲。

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劇中でMichael Pare演じる主人公がDiane Lane演じる昔の恋人を思い起こすシーンで流れていたのが、Maria McKeeの"Never Be You"。
と言ってもサビの部分がほんの十数秒程度流れるだけなので、劇中で使われているオリジナル曲の中では最も扱いが低い曲と言っても良いかもしれない。

この曲を歌っていたMaria McKeeは当時は全くの新人で、翌年、Lone Justiceというバンドでメジャーデビューすることになる。
"Never Be You"はTom PettyとBenmont Tenchのペンになる曲で、ミディアムテンポの正統派アメリカン・ロック・チューンだったが、お披露目の場としてはそれほど目立つ舞台が用意されていたわけではなかった。
この時点では実は自分の記憶にはMaria McKeeという名前はインプットされていなかったと思う。

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翌年のメジャー・デビューは、しかし、一転派手なものとなった。
当時はまだ大物揃いのプレミアム・レーベルっぽいイメージがあったGeffenレコードからの新人のデビューは非常に珍しかったため、それだけで「破格の大物新人」というイメージで捉えられていた。
ヴォーカルのMaria McKeeは若干21歳、可憐な美少女然とした面立ちながら、一聴するだけでその歌唱力が只者ではないことは窺い知れた。
折りしもR.E.M.やReplacementsやHusker Duなど、アメリカン・インディーズ・バンドが注目を集め始めていて、アメリカの新人バンドへの注目度が非常に高かった時期で、しかもローリング・ストーン誌が大絶賛したということもあって、音楽誌のレビュー等でも概ね評判が良く、アイドル的素養すら感じさせるMaria McKeeの美少女ルックスと相俟って、一大センセーションを起こすのではないかと感じた自分は、先物買いのつもりでデビュー盤を購入したのだった。

が、自分や、恐らくは業界の期待に反して、彼らは全くと言っていいほど売れなかった。

曲の出来も良く、歌唱力、演奏力ともに際立った力があり、フロントパーソンのルックスも良く、プロモーションもそれなりの規模でやっていた。
何が足りなかったのかはわからないが、どうやら、この手のサウンドとしてはカントリー・チャートで全く反応がなかったのが敗因だったようだ(当時はオルターナティブ・ロック・チャートなんてなかったし)。
考えてみれば、当時のGeffenは評価の定まった大物アーティストを巨額の契約金でヘッドハントして来てレコードを売っていただけで、新人の売り出しなんてほとんどやったことがなかったので、新人プロモーションのノウハウがなかったのだろう。



"Ways To Be Wicked(邦題「さまよえる恋」)"はこのデビューアルバムからのファーストシングル。Tom PettyとMike Campbell (Heartbreakers)の共作だが、Lone Justiceのために書いた曲ではなく、Tom Petty & the Heartbreakersのアルバム("Southern Accents"あたりか?)の捨て曲だったようだ。男女どちらにでも使える曲ではあるけど、ややフェミニンなイメージが強いのでカットされたのだろうか。
プロデューサーのJimmy Iovineとしては、あるいはStevie Nicksに歌わせるという選択もあったかと思うが、こういうストレートな正統派のロック・ナンバーは歌唱力に優れるMaria McKeeに歌わせた方が映えるという判断だったのかもしれない。とまで言い切っちゃうと単なる妄想だけど。

結局Lone Justiceは商業的な成功とは無縁なまま、わずか2枚のアルバムを残しただけで解散。Maria McKeeはバンド解散直後からソロ・アーティストとしてのキャリアをスタートさせ、今尚、現役で活躍しているが、ほぼ一貫して商業的成功には恵まれていない。
映画"Days of Thunder"に使われた"Show Me Heaven"が全英No.1になったのが唯一の商業的な収穫だが、それは彼女の才能とデビュー時の期待からするとほとんど無に等しい実績でしかない。

近年のMaria McKeeは自主制作のインディーズレーベルから、ゆったりとしたリリースサイクルで作品をリリースしているが、その活動はアコースティックなサウンドでR&Bやフォークソングを歌うようなスタイルに変わっている。
好きな曲を好きなスタイルで好きな時に歌う、というような趣だろうか。

Maria McKeeという稀代の女性ヴォーカリストが、コンテンポラリーなロック・シーンからはほぼリタイヤした状態にあることは残念だというしかないが、彼女にSherryl Crowのような活動を期待するのはファンの勝手な妄想でしかないということも、自分は理解しているつもりだ。



残念ながら"Ways To Be Wicked"が収録されているファーストアルバム(左)はAmazon.co.jpではsold out。
カタログにあるのは右のセカンド・アルバム"Shelter"のみ。



ソロ・アルバムも、デビュー盤(左)はsold out。
右はLone Justice時代からソロの初期の曲を集めたベストアルバム。ソロ唯一のヒット曲"Show Me Heaven"が収録されているのはこれだけ。

Tonight Is What It Means To Be Young (from The Motion Picture "The Streets of Fire") / Fire Inc. (1984) 

銀座ジュエリーマキ


先日ものすごく久しぶりに"Streets of Fire"(邦題「ストリート・オブ・ファイヤー」)が観たくてたまらなくなり、うちにあるLDを引っ張り出して来たのだが、もはやLDの繋ぎ方がよくわからなくなってしまってたので、Amazonで980円で売ってたDVDを購入してしまった。
てゆーか、GEOでビデオ借りようと思ったら、置いてなかったんだよね。意外と使えねーな、GEO。だいたいあんなに大量にハリポタの最新刊を置くこともないだろうと思うんだけど、結構貸し出し中だったりして、お前らそんなにハリポタ好きかと小一時間(ry。
まあ、980円なら3回見れば元取れるわけで、あと死ぬまでに3回くらいは見るだろうから、買っちゃった方がお得と言えなくもない。と、自分を納得させるが、LD、勿体ないよなあ。5回くらいは観たからいいか。


っつうことで、ほぼ10年ぶりくらいに観たんだけど、やっぱいいわ、これ。

街のヤンキー連中に意味もなく拉致された女性ロックシンガーを、何年ぶりかに地元に舞い戻ってきた風来坊の元カレが救出に行く、というベタベタなプロットだけでもお腹いっぱいなのに、最後は無意味に素手でのタイマン勝負で決着をつけちゃうというオチで脱力感30倍。

何っつうっても副題が"Rock & Roll Fable"(ロックンロールの御伽噺)なんで、意図的に頭の悪さを演出してみました、って、お前ロックンロールを舐めてるだろ、とWalter Hillを詰問したい気分になるけど、面白いので許そう。

主役のMichael Pareは吉田栄作みたいだし、敵対する悪役のWillem DafoeはB21スペシャル時代のヒロミみたいだ。このメインキャラ二人の並びだけでご飯三杯は堅い。
後に"Fields of Dreams"で60sヒッピー崩れ風のウーマンズ・リヴ主婦を好演するAmy Madiganがここでも「戦う女」を演じていい味を出してるが、主役と悪役の二人があまりに濃いので、やや浮いてしまってるのが残念。

てなわけで、映画の内容的には確かにアレなんだけど、「ロック・ミュージカル」として観るとかなりイケてる部類に入る。
この当時は"Flash Dance"とか"Footloose"なんかが流行ったせいで、二流どころの中堅アーティストの曲を映画とのタイアップで売り出すのが常套手段になってたんだけど、そーゆー映画のプロモーションのための曲で一儲け、みたいな下世話な試みとは、あくまで音楽がベースになって映画ができてるという点で一味違っている。
「映画音楽」のスコアを書いてるのがRy Cooder、主要曲を書いてるのがJim Steinmanで、music supervisorとしてJimmy Iovineの名前もクレジットされてる。Ry Cooder、Jimmy Iovine、Jim Steinmanという組合せは地味に見えるけど、その実メチャクチャゴージャス。この当時としてはある意味ドリームチームだよな、これは。

映画の中で使われているオリジナル曲10曲は何れ劣らぬ佳曲揃いだが、特に印象深いのはラストシーンで使われている"Tonight Is What It Means To Be Young(邦題「今夜は青春」)"だろう。
当時プロデューサー、ライターとして絶頂期にあったJim Steinmanのペンによる曲で、劇中では最後のシーンで晴れてステージに復帰したDiane Laneが熱唱する中Michael Pareが一人街を去り、エンディング・ロールに突入するという演出になっている。
もちろんDiane Laneは口パクで、実際に歌ってるのはHolly Sherwoodという人。演奏者のクレジットとしてはFire Incという架空のバンドだそうだが、この面子がほぼそのまま後のPandora's Boxへと繋がっていく。バックにはいつものようにRoy BittanとかLarry Fastあたりがいるようだけど、正規のクレジットはない。この時期のJim Steinman関連の作品では必ずバックアップを務めていた盟友Kasim Sultanの名前がないのは契約の関係だろうか。
映画の実際の主題歌はBillboardのトップ10ヒットになった"I Can Dream about You(「あなたを夢見て)"なのだが、映画の中の序列的に言うとこの"Tonight Is What It Means To Be Young"が主題歌的な位置づけになってる。

いろんなところで邦題がダサいとか書かれてるんだけど、実は訳としては意外と原題そのまんまだったりする。
原題を直訳すると「今夜は若いということの意味」で、ちょっと日本語としては通りにくいけど、要するに「今夜は若さの意味が何か確認しようぜ」くらいの意味じゃないか。
っつうことは「今夜は青春」でも訳としてはおかしくはなくて、邦題がダサいんじゃなくって原題がダサいってことである。
日本語訳のせいじゃなくって残念。


歌詞の内容もかなりキテる。

I've got a dream 'bout an angel on the beach
And the perfect waves are starting to come
His hair is flying out in ribbons of gold
And his touch has got the power to stun

I've got a dream 'bout an angel in the forest
Enchanted by the edge of a lake
His body's flowing in the jewels alive
And the earth below is starting to shake

But I don't see any angels in the city
I don't hear any holy choirs sing
And if I can't get an angel
I can still get a boy
And a boy'd be the next best thing
The next best thing to an angel
A boy'd be the next best thing

浜辺の天使の夢を見た
完璧な波がやって来ようとしている
その髪は金のリボンの中を飛び回り
触れるものを動けなくしてしまう力を秘める

森の天使の夢を見た
湖のほとりに魅せられて
その身体は生きている宝石の中を流れ出し
その下の大地は震え始める

だけど、街では天使を見ない
聖歌隊の歌も聴こえない
天使は手に入れられなくても
男の子なら手に入れられる
男の子は2番目に大切なもの
天使の次に大切なもの
男の子は2番目


とんでもないボーイズ・ラブですね(違)

この歌詞を読んだ上でタイトルを見直すと、「今夜は青春」というよりは「今夜はピチピチの若い子」って感じがしないでもない(爆)

この歌詞をDiane Laneが恍惚の表情でシャウトするわけだから、考えてみるとゾクゾクもんではある。

ただ、自分はDiane Laneを見ると反射的に♪Darling, leave a light on for me♪(銀座ジュエリーマキ)と歌ってしまう80年代深夜番組ヲタなので、彼女が歌うシーンはどーしてもBelinda Carlisleと被ってしまってどーにも妙な感じ。
余談だが、自分の中ではBelinda CarlisleとDiane Laneって同系統だったりする。
ま、白人のねーちゃんなんてみんな同じ顔に見える、というと身も蓋もないけど。

DianeLane2.jpgbelinda_carlisle.jpg
似て…ねえか。
とりあえず一番痩せてる時期でもこれなので乳のボリュームはBelinda Carlisleの圧勝>結局そこかよ(爆)。


ちなみにこの曲、日本では椎名恵という人がカバーして、「今夜はエンジェル」というタイトルでヒットさせてる。
大映ドラマ「ヤヌスの鏡」の主題歌だが、大映ドラマと言ってもフジテレビ系なので、王道じゃないというか、伊藤かずえも松村雄基も出てない大映ドラマに意味があるのかという根源的な疑問が投げかけられてしまうようなビミョーな存在。
更に言えば、主演の杉浦幸のルックスがかなりヤバいです(余計なお世話だよ)。


たぶん「夜ヒット」の映像。フルコーラス歌ってます。
長渕剛じゃないんだから自粛しろよ(意味不明)。
麻倉未稀と二人でこの時期の大映ドラマの主題歌(洋楽のカバーバージョン限定)の大半を歌ってますが、麻倉未稀の方が「スクール☆ウォーズ」とか「乳姉妹」のような主題歌にインパクトがあるケースが多くて、こちらはやや存在感が薄いのが可哀想です。



映画のサントラ盤。
Jimmy Iovine繋がりでStevie NicksやTom Pettyも曲を提供、バックバンドで参加してます。
外に出てるクレジットだけ見ると地味だけど、中身は超豪華。



本文では触れませんでしたが、"Streets of Fire"というタイトルはもちろんこのアルバムに入ってる曲が元になってます。
で、当然最初はBruce Springsteenも参加する予定だったけど、いろいろ大人な事情があったようで、不参加。
代わりにE Street Bandのメンバーが参加。
と言ってもこの人たち、あんまり仕事を選ばないようなんで希少価値はないですが。

DESIRE / 中森明菜 (1986) 

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1980年代の日本の歌謡界は松田聖子と中森明菜を中心に回っていたと言っても過言ではない。

なんて感じで軽く書いちゃいがちなんだけど、落ち着いて考えると、中森明菜って、松田聖子のようなパッケージ的完成度とは全く別世界の存在だったわけで、同じ系列で論じるのはまずいだろうなあ、という気がする。
実際、今、この二人の曲を聴いてみたら、松田聖子の作品はどれもwell produceされてて楽曲の完成度が非常に高いし、その中で松田聖子のヴォーカルが極めて秀逸であることが万人に理解できるような普遍性を確保している。

それに対して、中森明菜は相当マニアックだ。
例の“明菜ビブラート”だって、昔は皆カラオケで真似したもんだなんてことを知らなければ相当にウザイ。
同時代を過ごしたものでなければわからない凄みがある、ということにしないとどうにも都合が悪い部分が、それなりに彼女に熱中した自分にはある。


中森明菜の歌唱力というのは意外とビミョーなところがあって、出世作となった「少女A」でも「わーたーしーしょおおじょえ~え」の「え~え」のところの音のずれ方がたまらないというフェティッシュな評価が大半を占めていたように、実力派と言いつつ実はそれほど力量は高くないという、後の工藤静香的なポジションにあったのである。
いや、まあ、あそこまでひどくはないけどさ。
「少女A」でのケースは単に外しちゃっただけとしても、その後の中期以降の曲で低音部がややフラットする外し方はわざとやってる部分もあったりするので、一概に下手と断じるのはアレなんだけど、少なくとも教科書的な巧さとは無縁の人であることは論を待たない。
そこら辺は同じように昭和歌謡史に名を残すべき女性歌手でも、松田聖子とか美空ひばりなんかとは明らかに違うところで、そーゆー意味では山口百恵の系譜に連なるべき人なんだろうけど、中森明菜と山口百恵の類似性を論ずる文章なんて書いても何の新鮮味もないので自分は意地でも書かない。デビュー前の中森明菜が山口百恵wannabeだったのは超有名すぎてわざわざ書くまでもないような歴史的事実であるわけだし。
といいつつ、中森明菜がその卓越したレコードセールス実績に比して、山口百恵的な歌謡史上に残る伝説を創り損ねたと言う印象を持ってしまう部分はどうしても拭えなかったりして、って、結局比較論になっちゃってるよ。
山口百恵も実はその最終的な完成形においては宇崎竜童と阿木陽子によるパッケージ作品としての性格が強かったわけで、本能任せの中森明菜の天才っぷりとはやはり距離がある。

意外と論じられないのだけど、中森明菜のシングル曲はほとんどライターの重複がない。
松田聖子が基本的に松任谷由実と財津和夫とのコラボレーションを基軸にしていたのとは好対照である。
中森明菜のシングル曲の選定には明菜本人の意思が強く反映されていたと言われているが、これだけ異なるライターの曲が選ばれているところを見ると、あるいは連続したコラボを避けるという点だけはスタッフと本人の間で統一された意思だったのかもしれない。
改めて並べて聴いてみると、これだけカラーの違う曲を歌いこなしている中森明菜の力量はすごいと感じる一方で、作品としての一貫性が全くないことに驚かされる。

何だかんだ言って、松田聖子は正統派アイドルポップ的な財津カラーとニューミュージック派のユーミンカラーをうまく切り替えながら、時折細野晴臣や尾崎亜美なんかを挟んで志向がモノトーン化するのを防いでるという感じで作家の起用に戦略性が見て取れるのだが、中森明菜のシングルディスコグラフィーにはそれが全く感じられない。
デビュー直後こそ、ツッパリ歌謡路線とスローバラード路線を交互にリリースするという戦術レベルの意図は見られたけれど、その意図は「サザン・ウインド」以降は曖昧になっていく。
「サザン・ウインド」以降起用した作家を順に並べていくと玉置浩二-高中正義-井上陽水-松岡直也-都志見隆-タケカワユキヒデ-鈴木キサブロー-国安わたる-佐藤健となってて、タケカワユキヒデあたりまでは、あまりアイドルには曲を提供しないようなビッグネームを選んでいるような感じだけど、意外性を狙ったというよりは、単純に他の歌手に書いてない作家を選んでいるだけだったんじゃないかという気はする。


で、「DESIRE」なんだけど、この曲は二年連続のレコード大賞受賞曲となった曲で、中森明菜の絶頂期を示す代表曲だが、曲を書いた鈴木キサブローは、それまでの実績としてはH2Oの「想い出がいっぱい」と渡辺徹の「約束」が目立つ程度のB級作曲家で、作家の質が落ち始める契機となった曲でもある。
鈴木キサブローとしても唯一無二の代表曲と言って良いだろう。
ビッグネームの起用がなくなった原因は、提供曲を扱き下ろすことも度々だったという明菜のわがままに一流ライターが皆そっぽを向いたからだというような風評が立ったこともあるが、真相はよくわからない。

中森明菜の魅力は静から動への切り替えの見事さにある、なんて書くとあまりに月並みすぎるが、この曲で見られる、やたらとキーが低いAメロでの抑えた調子から、サビで一気に“明菜ビブラート”を全開にさせるパターンは前年のレコード大賞を取った「ミ・アモーレ」と同様で、これが明菜節ともいうべき王道なのだろう。
「SAND BEIGE」、「SOLITUDE」と、平板で抑揚のないバラード調の曲が続いた後だっただけに、ファンから絶大な支持を受けたのも頷けるが、明菜本人はロック調の曲はあまり好みではなかったようで、この後、こーいったビートの利いたシングル曲は一曲もリリースされていない。
この後、中森明菜は見事に抑揚に乏しいバラード曲ばかりをリリースし続け、セールス面ではジリ貧になっていく。
自らの資質と音楽的嗜好が合わなかったということなのだろうけど、勿体無いとしか言いようがない。
“シンガー”中森明菜をきちんとプロデュースできるスタッフがついていたら、もっと刺激的なコラボレーションが生まれたんじゃないかと思うと同時に、彼女はそーいったいかにも商業パッケージ的な枠にはめられなかったからこそ光を放っていた部分もあったんだろうと感じる部分もあったりして、複雑な思いがよぎる。

そして、不世出の歌手中森明菜の歌手生命を実質上断ったのは、失恋の末の自殺未遂(実際には家族との金銭トラブルだったらしいが、当時はそう信じられていた)といういかにもゲーノー界的なスキャンダルだったというのが、返す返すも皮肉としか言いようがない。
考えてみれば、スキャンダルを食い物にする松田聖子のいかにも芸能界的なセルフ・パッケージ能力の前では、失恋や金銭トラブルでリストカットする中森明菜のピュアさは全くもって無力だったのだろう。
それを不幸だと感じるのは、また、いかにも芸能界的な価値観でしかないような気はする。


何を信じればいいの
スキャンダルさえ
時代のエクスタシーよ

ぶつかり合って 廻れ desire
星のかけらを 掴め desire
夢は そうよ 見る前に
醒めてしまったら
何にもならない


この下りだけ見るとこの曲は、中森明菜よりも松田聖子が歌うべき曲だったんじゃないかという気がしないでもない。

酷な話だけど、天才だったはずの中森明菜は常人としてのリアリティの中に埋没してしまった。
そっちの方が人間くさい感じはするけど、「アーティスト」としてはダメなんだろうね。


リリース順にシングル曲が並んでるベスト盤。
明菜の進化が見て取れます。月並みだけど。
楽曲の完成度で勝負するタイプじゃないとしても、最後の方はかなりつらくなってるのがわかるんじゃないでしょうか。

Rainy Day Woman #12&35 / Bob Dylan (1966) 

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The Beatlesについて書いたのだから、Bob Dylanについても書いておかないといけないだろう。
「ポップ・ミュージック」を語る上ではそういうバランス感覚はとても大事だ。



Bob Dylanが偉大なロック・ミュージシャンであることに異論を挟むものは少ないだろう。
グラミー賞が1979年に"Rock Vocalist of the Year"を新設したとき、それほど目立った活躍をしたわけでもないBob Dylanが選ばれたのは過去に果たした功績のお陰だとも言われた。Dylanに影響を受けたミュージシャンを挙げるだけでロックの歴史は語れてしまうかもしれない。
だが、彼自身が本当にロック・ミュージシャンとして時代を創るような動きをしていたのは"Bringing It All Back Home"で本格的にロックに“転向”した1965年と、ロック史上に残る名盤"Blonde on Blond"をリリースした後バイク事故を起こし休養に入った1966年までの実質2年にも満たない期間だけ、ということもできる。
今や伝説となった1965年7月のニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキギターを手にしてから、1966年7月にバイク事故で休養を余儀なくされるまでのわずか1年という期間をロック・ミュージシャンDylanはフルスロットルで駆け抜けた。その速度が余りに速すぎたため、どこかで止まる必要があったのだろう。それが彼自身の意志ではなく、事故という外的な要因によるものだったのは今となっては示唆的である。

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"Rainy Day Woman #12&35"(邦題「雨の日の女」)は、Dylanが“ロック・ミュージシャン”として活動したごくわずかの期間の最後にリリースされたアルバム"Blonde on Blonde"のオープニングを飾るナンバーで、Billboardで2位まで上がったBob Dylanとしては最大のシングルヒット曲でもある。
ディキシーバンド調のブラス・サウンドに乗せて、Dylan節としか言いようのない独特の節回しで歌われるこの曲は、決してヒットポテンシャルの高いポップソングとは言い難いが、何度か聴くと耳について離れない特異性がある。
まさにDylanならではのヒット曲といったところだが、こんな曲がチャートインしてヒットしてしまうくらい、この当時のDylanの存在はセンセーショナルだったということなのだろう。


Well, they'll stone ya when you're trying to be so good.
They'll stone ya just a-like they said they would.
They'll stone ya when you're tryin' to go home.
Then they'll stone ya when you're there all alone.
But I would not feel so all alone,
Everybody must get stoned.

あなたがいい人でいようとすると、やつらは石で打つだろう
やつらが言ったとおりに、やつらは石で打つだろう
あなたが家に帰ろうとすると、やつらは石で打つだろう
そして、あなたが一人であそこにいると、やつらは石で打つだろう
けれど、私はあまり孤独を感じない
みんな石で打たれるべきなのだ


世に言われるようなドラッグソングと決め付けるにはあまりに想像力を掻き立てられる歌詞である。
ドラッグソングに見立てた世論への更なる反駁の要素も感じられるし、またタイトルを考えるとある種の性的な暗喩ともとれなくもない。

ロック転向直後の"Bringing It All Back Home"や"Highway 61 Revisited"ではどちらかというと直接的な社会風刺や世論への揶揄を攻撃的なサウンドに乗せていた感があるのに対し、ここでの暗喩はもっと個人的なものに向いており、ややソフトサウンディングになった作りとあいまって、ある種のレイドバック感すら感じさせる。例えば、前年ヒットチャートの2位に入る大ヒットとなったこの当時のDylanを象徴する曲である"Like a Rolling Stone"("Highway 61 Revisited"収録)などと比べても音の構成がすっきりし、Dylanのヴォーカルが前に出ている印象を受ける。その分、描かれた詞の世界は前にも増してイメージ豊かで暗喩に満ちたものになっている。
これはこの曲に限ったことではなく、この曲が収録された名盤"Blonde on Blonde"を通じて言える特徴だったりする。やや牽強付会ながら、バイク事故は契機でしかなく、或いはDylanはここでもう退くことを考えていたのではないかとも思えるのだ。

バイク事故による2年の休養以降のBob Dylanはまるでこの時代の熱を忘れたかのように“私小説的”な世界に埋没していく。メインストリーム・ロックがコマーシャリズムの波に飲まれて、かつて持っていた輝きを失いはじめるのと歩調を合わせて、Dylanはロックへの関心を失ったかのようなカヴァーアルバムやカントリー調のアルバムをリリースする。まるで“時代を創る”ことに興味を失ったかのように。

Dylanが不在の67年から69年の間に疾走したミュージシャンは殆どが、来るべきコマーシャリズム時代への適応に失敗し、多くは最悪の結末を迎えてしまった。彼ら~Jim Morrison、Jimi Hendrix、Janis Joplinら~の悲劇について述べるのは本稿の目的ではないのだが、74年にThe Bandを従え、"Planet Waves"でいわゆるメインストリームに復帰した後のDylanがスタイル自体を大きく変えるわけでもなく、エヴァーグリーンの輝きを失わないでいるのは、逆説的だが、一旦メインストリームに背を向けたからなのであろう。
走らなかったことを責めるのはあたらない。少なくともBob Dylanのような優れた才能が譬えわずかの間でも疾走したことの方が重要なのだから。
彼が走らなかった間にも、彼が蒔いた種は着実に芽をだし、枝葉を伸ばしている。The BandやAl Kooperなどのように直接関わったものも、Lou ReedやBruce Springsteenのように間接的に影響を受けたものも、皆Dylanの2年足らずの疾走が産んだ遺産なのだから。


Dylan2.jpg
これは"Subterranean Homesick Blues"のビデオクリップ。
すっげーカッコイイよ。
Inxsの"Need You Tonight"のプロモはこれのパクリだ。
今となってはどーでもいいけど。




ロックの歴史上最も重要なアルバムと言っても過言ではない
とまで言うとやや過言かもしれないと思えるが、何にしろ歴史に残る名盤"Blonde on Blonde"
"Rainy Day Woman #12&35"以外にも"I Want You"や"Just Like Woman"、"Stuck with Menphis Blues Again"など有名曲満載。

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