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Never Marry a Railroad Man / Shocking Blue (1970) 

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このblogのスタイルとして、ポップミュージックについて曲ベースで書いていく、という形式を一応取ってるわけだが、そうすると、何だかんだ言って自分は70年代の初め頃の音が一番好きなんだということに気づかされる。
これはロック・ファンとしての自分の立ち位置に反するので困ったものなのだが、事実なので仕方がない。

とは言え、実のところ、70年代の初め頃というと自分はまだ消防だったので、音楽に関するリアルタイムでの記憶といってもテレビの歌謡番組(「ロッテ歌のアルバム」とか)くらいしかないわけで、洋楽に関してはほとんど触れる機会などなかったのだが、それでもこのShocking Blueの曲(邦題「悲しき鉄道員」)はリアルタイムで聴いた記憶がある。
オリコンで2位まで上がったそうで、「ビューティフル・サンデー」やノーランズの「ダンシング・シスター」(いずれもオリコン1位)級の、洋楽としては破格の大ヒット曲だったようだ。

Shocking Blueといえば、全米ナンバーワンになった"Venus"が有名で、80年代にBananaramaがカバーしたこともあって、日本でも自分らより下の世代には"Venus"が代表曲ということになるんだろうけど、自分の中では断然「悲しき鉄道員」である。
アメリカでは"Venus"以外にTop40に入った曲はなく、従ってOne Hit Wonder(一発屋)として語られることが多いのだが、本国を始めとする西ヨーロッパや、日本ではヒット曲を連発しており、70年代初頭を代表するポップ・ロック・バンドという地位を固めていたと言って良い。
実は本国のオランダでも"Venus"はヒットチャートで3位止まりで、この"Never Marry a Railroad Man"は1位になってるので、こちらの方が売れたということになる。
確かに、"Venus"は当時全盛だったモータウンを意識したダンスチューンで、いかにもアメリカ向けにチューニングしました、みたいな感じであまりヨーロッパ的ではない、とこじつけてみたりするが、実際この人たちの本領は、アメリカでは売れなかった"Venus"以外のヒット曲群の方にあるという論は否定しづらいだろう。
60sユーロポップとアメリカンティーニーポップ的フレイバーと、多少のサイケロック風味がビミョーなバランスでブレンドされてるというと聞こえはいいけど、どーにもB級テーストに溢れている。むしろ、ソウルミュージック風のベースリフが印象的な"Venus"の方が例外的なのだ。

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グループサウンズ歌謡曲調のメロディーとMariska Veresの“セクシー・ダイナマイト”なルックスが、いかにも70年代な感じでバッチグーである。
由美かおるの「同棲時代」とか、安西マリア級の70年代風ダイナマイトと言ってよい。
あるいはゴーゴー喫茶で踊るオーロラ三人娘といった趣。
ちょっとアングラ風な香りを漂わせているところがポイントである。

ヴォーカルのMariska Veresは、ハンガリー人とドイツ人の混血で、父親はジプシー楽団でフィドルを弾いてたというのだから、たぶんジプシーの血を引いてるのだろう。
エギゾチックなルックスは、「野良猫ロック」の梶芽衣子とか、あの辺のセクシー路線に重なる部分がある。この系譜は、元を辿ると、ハリウッド系グラマーよりも、クラウディア・カルディナーレとかブリジット・バルドーなんかに近い線に連なるはずなんで、そーゆー意味でもヨーロッパとの親和性は高いっつうことなんだろう(意味不明)。


蛇足だが、歌の内容的には「鉄ヲタには惚れるなよ」ということのようだ(やや違)。
洋の東西を問わず鉄ヲタのパワーは凄まじいということなんだろう。




Shocking Blueの日本編集のベスト盤。
何種類も出てるけど基本は同じ。
"Shocking You"や"Hello Darkness"なんかも哀愁漂う良い曲です。
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Come Together / The Beatles (1969) 

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The Beatlesについて何か書く、というのは結構難しい。
The Beatlesについて何も知らない人というのはほとんどいないだろうし、そういう意味では誰でも何かが書けるのだろう。けれど、誰もが知っているThe Beatlesという存在について、誰でも書けることをわざわざこんなところで書いても仕方がない。
The Beatlesくらいメジャーな存在になれば、フリークの数も半端じゃないだろうし、熱狂的なファンは腐るほどいるだろう。ただ「普通に好き」なだけの自分が、彼らについて何かを語ろうとするのはどこかおこがましくもある。
けれど、ロックに限定せずとも、ポピュラーミュージックについて何かを語りたければ、The Beatlesについて何かを語らなければ何も始まらない、というのも事実だ。そういう意味では彼らは自分のような「平均的なロック・ファン」にとってはとても厄介な存在だったりもする。

The Beatlesについて触れた表現は文章に限らず数多いけれど、納得したり、感動したりした記憶は少ない。
かと言って逆に憤りを覚えたり、反発を感じたりしたことも、またそれほどない。
ほどほどに満足し、ほどほどに違和感を感じるのだ。
それは自分がThe Beatlesの曲に感じる感覚と同じだったりする。
簡単に言うと「そんなに好きではない」ということになるのだろう。
今、これを書いている自分の感覚としてはそれに近い。
けど、逆に言うと「まあまあ好き」なのだとも言える。
いずれにせよThe Beatles自体に抱く違和感より、The Beatlesへの評価に対して感じる違和感の方が強いということは言えると思う。

The Beatlesが偉大なのは彼らの音楽が優れていたからではなく、マーケットが求めていた商品を最適のタイミングで供給したからだ、という論が、主に渋谷陽一や北中正和といった正にビートルズ世代の評論家によって唱えられているのは興味深い。これが追体験の世代になるほど、マーケット論とは離れた「精神性」とか"Love & Peace"とかいった抽象的な部分でThe Beatlesを神格化しようとする傾向が強いように感じられるのは気のせいだろうか。
実際のところ、マーケット論的な命題自体は否定しようがないだろう。
要するに、Buddy Holly(とRitchie Valens)の乗った飛行機が落ちず、Little Richardsが宗教に嵌まらず、Chuck Berryが淫行をせず、Elvis Presleyが兵役に行かなければ、The Beatlesのあれほどの巨大な成功はなかったはずなのだ。
才能あるアーティストが作る優れた音楽が必ずしも売れるわけではないし、売れるからといって優れた音楽だというわけでもない。The Beatlesの場合、商業的成功が桁外れなため音楽的成功への評価をそれと均衡させようとする心理が働くのは仕方がないのだろうけど、彼らの音楽自体に過剰な評価を与えるのは逆に彼らの業績を貶めることになるような気もしないでもないのだ。
結果としてJohn LennonとPaul McCartneyという二人のアーティストの才能が桁外れであったことについては自分も異論はないけど、彼らの最初の目的は55年から58年くらいまでの「ロックンロール黄金時代」を再現することだったはずなのだから。そしてそれは彼らが熱狂的に受け入れられた明確な理由の一つでもあった。
少なくとも、自分としてはそのロックンロール空白時代を埋め合わせる役回りを担ったのがThe Beatlesで良かったとは思う。
Herman's Hermitsだったら、ロックの歴史はかなり変わったものになってただろうし。


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自分がThe Beatlesに出会ったのは中学3年の時。
その頃自分はちょうどQueenを入り口にしてロックの世界に足を踏み入れたばかりだったが、既にLed ZeppelinとKing Crimsonをフェイヴァリットアーティストに挙げるようないっぱしのロック通気取りの中二病患者だった(に違いないと思う)。まあ、ホンマモンの厨房だったんだから仕方ないけど。
The Beatlesとの最初の接点は、映画"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"の中で、当時の自分のお気に入りバンドの一つだったAerosmithがカバーしてた"Come Together"だった。
この曲がえらく気に入ったので、非ロック系の同級生から借りて最初に聴いたのが、いわゆる「赤盤」「青盤」
いわゆる“アンチ”ロック派で、カーペンターズなんかが好きだったそいつは「赤盤」をプッシュしてたのだが、自分はやはり"Come Together"が入った「青盤」の方が好きだった(というより「赤盤」は嫌いだったという方が正確かも)。
今聴き直してみると、意外と「赤盤」の方が良い。「青盤」が悪いというわけじゃないけど、「青盤」を聴くんだったら、各々の曲が入ってるオリジナルアルバムを聴いた方が良いという感じだろうか。それだけ後期のアルバムを聴き込んだということなのだろう。

Aerosmithのカヴァーはオリジナルとアレンジはほとんど同じだった。
ヴォーカルはオリジナルの方が上品だったが、それでもJohnとしてはかなり下世話風味に歌っている。最初にJohnが書いた時には"You Can't Catch Me"そっくりだったと、後にPaul McCartneyが語ってるけど、確かに、テンポをあげてあの印象的なベースのリフを取り除けば、ほぼ"You Can't Catch Me"になる。いずれにしてもブルージーでファンキーで、ロックンロールそのものの音がそこにあった。
当時の自分はAerosmithヴァージョンの方がよりロックっぽい感じがして好きだったが、「青盤」の後に"Abbey Road"を買ってオリジナルヴァージョンを幾度となく繰り返して聴いてるうちにオリジナルの方が耳にしっくり来るようになって来た。

当時でも、必ずしも「The Beatlesで一番好きな曲」が"Come Together"だったわけではないし、一番優れた曲が"Come Together"だと思ったことももちろんないけれど、それでも自分はThe Beatlesで一曲を選ぶとしたら"Come Together"を最有力候補に挙げることを躊躇しない。

ま、実際のところは"Tomorrow Never Knows"とか言っちゃうのがロックヲタの悲しい習性だったりするわけなんだけど。


恐らくロックの歴史上最も有名なアルバム"Abbey Road"。
1曲目が"Come Together。
B面のメドレーが圧巻。



Aerosmithの"Come Together"が収録されている映画"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"のサントラ。
Bee Gees、Peter Framptonら、当時のトップスターが勢揃いした話題作でしたが、興行的には大コケでした。

スプリングサンバ / 大場久美子 (1979) 

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アイドル冬の時代と言われた1970年代後半にデビューし、アイドルポップスファンを驚愕と戦慄に陥れた大場久美子の、恐らくは最大のヒット曲にして最高傑作というべき曲がこの「スプリング・サンバ」である。

サンバのリズムと、「アーイエ、オーイエ」とかいうイマイチノってるんだかノってないんだかよくわからない合いの手に合わせて、大場久美子の超絶ヴォーカルが炸裂する。
きっと君も、バックトラックのコード進行を芸術的なまでに無視する、ディスコードの魔術師とまで謳われたその類まれなるヴォーカルテクニックに酔いしれること間違いなしである。
これこそ、元祖ニューヨークパンクのムーヴメントの中でDavid Byrne (Talking Heads)やTom Verlaine (Television)らが実現しようとして成しえなかったヴォーカリゼーションであり、このスタイルはその後のニューウェイヴムーヴメントを先導したIan Curtis (Joy Division)やLawrence Hayward (Felt)といったヴォーカリストたちにも多大な影響を与えている。

日本のポップス史上、彼女のヴォーカルの破壊力に匹敵しうるのは能瀬慶子くらいだろう。
比較対象として、菊地桃子、安田成美、三井比佐子、伊藤つかさといった名前を挙げることはできるが、彼女等はディスコードを作り出してはいるものの、圧倒的に破壊力が足りない。
いわば小手先だけのディスコードとでもいうか。腹の底からディスコードしていない。
歌手を本業にしないものとしてはオマリー(元阪神)やアル・ジョイナーやウッチーといったアンチコードとでも表現すべき一派も存在するが、あくまで本業の歌手に限ればやはり彼女以上の完成度を持ったディスコード・ヴォーカルは存在しない。
日本の歌謡界は、意外とこの後、能瀬慶子という別格の偉大な例外を除いて、彼女のような本格的なディスコード女性ヴォーカルを生み出していない(ちなみに能瀬慶子の代表曲は「アテンション・プリーズ」と言われることが多いが、個人的には「He Is コットン100%」を推したい。推したからどうなるものでもないけど)。

むしろ、この芸風は田原俊彦からシブガキ隊を経てSMAPに至るジャニーズの伝統として確立されつつある。
しかし、彼らのディスコードには萌えない。
男声でもIan Curtisのディスコードにはハアハアするもんだが、草ナギ君のディスコードには殺意しか覚えない。
さすがに中居君までいくとちょっと面白いけど。

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全盛期の大場久美子。
超可愛い。
密かに厨房時代大ファンだったことは秘密だ。


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ついでに能瀬慶子の「アテンションプリーズ」。
「能勢」慶子じゃないので注意。




東芝EMIとSMEの合同企画によるベスト盤「ゴールデン☆ベスト」
かなりゴールデンな感じ

People Are Strange / The Doors (1967) 

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The Doorsは伝説だと言う。

ヴォーカリストJim Morrisonのカリスマ的なキャラクター。ジャズを基調にしたRay Manzarekのオルガンがフィーチャーされた重苦しいまでに暗いサウンド。その暗さにマッチする極めて感覚的で刺激的な歌詞。そして勿論、Jim Morrisonの悲劇的な死…。
これらの全てがThe Doorsのミステリアスなイメージを高めるのに多大な貢献をしている。

しかし、1970年代の後半までThe Doorsはある意味で忘れ去られていたのである。The Doorsの伝説が一般に知られるようになるのは実はあの有名な「地獄の黙示録」のラスト・シーンにファーストアルバム収録の"The End"が使われてからである。80年以降、Jim Morrisonの伝記や、ライヴアルバムの発表などにより、Jim Morrisonの死から10数年を経て、80年代はThe Doorsの時代になる。
だが、70年代のThe Doorsはロックファンの間でも一部でしか評価されていないような存在だった。それは意外だが、The Doorsが本質的にヒットソングメーカーであったことに起因するのだろう。

The Doorsが、60年代後半のいわゆる「革命的な」ロックアーティストの中で飛びぬけてシングルヒットが多く、セールス的に成功したバンドだということは意外に語られていない。わずか5年足らずの活動期間中のシングルヒットだけを集めて1枚アルバムが作れてしまう“サマー・オヴ・ラヴ”なロック・バンドなど実はそれほどはいない。しかもそれが、解散後10年を経た後にリリースされゴールドアルバムを獲得してしまうなどということはまず考えにくい。
例えば同じように伝説的なバンドであり、同じ文脈の中で語られることの多いThe Velvet Undergroundなどと比べると、The Doorsのコアなロックファン以外の一般リスナーへの訴求力の高さというのは一目瞭然である。The Velvet Undergroundが、Andy Warhallの加護を得てニューヨークの知識人階級の慰み物としてその生涯を終えたのに対し、The Doorsが全米中のラジオ局でエアプレイされビルボードのチャートを上っていったのだった。
ロックの持つダイナミズムや冗長なインプロヴィゼーションを排したThe Doorsの音というのは圧倒的にわかりやすいという一面があることは忘れてはならない。
音のわかりやすさと、神秘的かつ深遠なイメージの組合せが伝説に拍車をかける。それがメガセールスを誘発する。
だが、「わかりやすい」ことと「理解される」こととの間には大きな隔たりがある。
Jim Morrisonの悲劇的な死の遠因はそのギャップを埋められなかったことにあるのだろうという気はする。
シングルがヒットし、ライヴが超満員になって、大金を手にしても、周囲は自分のことを理解していない。それでもまた、レコードは売れ、契約を履行するために次のレコードを作らなければならない。そういうシステムに順応できず、ドラッグに溺れるというのはお定まりのパターンであろう。だが、それはJim Morrisonがアンダーグラウンドのカリスマではなく、ポップスターであったために起こったことなのである。


"People Are Strange"(邦題「まぼろしの世界」)は出世作"Light My Fire"の大ヒット(全米No.1)の余韻が残る1967年の秋、彼らの2枚目のアルバム"Strange Days"からの第一弾シングルとしてカットされ、ビルボードで11位まであがるヒットとなった。

People are strange when you're a stranger.
Faces look ugly when you're alone.
Women seem wicked when you're unwanted.
Streets are uneven when you're down.

あなたがよそものだと、人々はよそよそしい。
あなたが一人でいると、その顔は醜い
求められていないと、女は邪悪だ
気分が沈んでいると、道は曲がっている

歌詞を書きとめるだけで人生に絶望しかけてしまいそうになるほど強烈な疎外感を感じさせるこの曲が"Light My Fire"の大ヒットの後とは言え、ビルボードであわやトップ10という位置まで上がったというのは一種の事件である。
時代の趨勢みたいなもんはあったのだろうけど、いくら「サイケ」がブームと言ってもチャートに上がるのは"Incents and Peppermints"みたいなノーテンキなのが多かったので、やはりThe Doorsの生真面目さは異質だ。
と思いつつ聞き直してみると、メロディーもアレンジも極暗ではあるものの、非常にキャッチーではある。シンプルだけど、ポップ・ソングとして良くできてるのだ。
それがThe Doorsの真骨頂である。

この曲が入った"Strange Days"のリリース後、The Doorsはよりポップな方向へ移行していき、ヒット曲を連発する。Top10ヒットとなった"Hello I Love You"や"Touch Me"が有名だが、"Love Her Madly"や"Riders on the Storm"のような地味なスマッシュ・ヒットも放っており、センセーショナルなキャラクターに比して、チャートアクションは総じて良好だったと言って良いだろう。

The DoorsのフロントマンはJim Morrisonだと思われているが、彼は全ての曲を書いている訳ではない。曲はRobbie Kriegerがかなりの数を書いているし、アレンジに関してはRay Manzarekが中心になっていた。少なくとも音楽的にはThe DoorsはJim Morrisonのワンマンバンドではない。恐らくRay Manzarekは1stや2ndではJim Morrisonのエキセントリックな部分を強調することで、凡百の“サイケデリック”バンドなどとの差別化を狙ったのかもしれない。それ以降、グループとしてのバランスを取っていく中で、Jim Morrisonの個性はThe Doorsを構成する一要素へとその重要性を下げていった感はある。
結局のところJim Morrisonは一番近くにいるはずのグループのメンバーにさえも理解されなかったのかもしれない。

最後に蛇足だが、The Doorsはいわゆるトータルアルバムを作っていない。The Rolling Stonesさえもがトータルアルバムを作る時代にである。
作ろうとしたが作れなかったというのが実は正解だったのではあるが、それでも、自分はそのことこそがThe Doorsの一番の特徴ではないかと感じている。
The Doorsの本質がJim Morrisonのカリスマ性のみにあったのなら、どこかで彼らは演劇性の強いトータルアルバムを作っただろうという気がするのだ。それを作らなかったこと、作りきれなかったことがThe Doorsの、そしてJim Morrisonの悲劇を象徴しているように思う。
結局のところ、Jim Morrisonは最後までThe Doorsになれなかったのだろう。

Jim Morrisonを失ったThe Doorsは約2年間、彼抜きの活動を続けたあと解散した。残されたメンバーにとってはやはりThe DoorsはJim Morrisonそのものであった。



恐らくThe Doorsの最高傑作と呼び声の高い2nd "Strange Days"
1曲目がいきなり"People Are Strange"
この当時のThe DoorsはとにかくStrangeな気分だったようだ。

Goodbye Yellow Brick Road / Elton John (1973) 

ポップミュージックの歴史において最も幸福だった時代は、実は1970年代初頭あたりなんじゃないかと言う気がしている。

当時、「てめえらの親をぶっ殺せ」みたいな無茶を言ってたキティちゃんたちは淘汰されちゃって、ロック革命の喧騒は意外に簡単に終わっちゃったんだけど、それでもそーゆー連中を育んだ「ロックンロール」の文法はポップ・ミュージックの土壌の中にきちんと根を下ろしつつあって、いわゆるポップソングのクォリティが飛躍的に上がったのがこの時代。
自分が厨房の頃(1970年代後半)には「ロック不毛の時代」と見なされて過小評価されてた(対照的に1960年代は「黄金時代」だった)けど、「ロック」的な見地からも意外と掘り出し物が多いんじゃないかという気はする。
共同幻想から内省へ、っつうのがこの時代を表すキータームで、フラワームーヴメントの挫折がロック革命の幻想を打ち砕き、フォークやカントリーをルーツに持つシンガーソングライターがブームになったということになってるけど、それを語るのが本稿の主眼ではないし、いったん箍が外れると2GBくらいの長文を書いちゃいそうなので、この辺で自粛。
むしろ、シンガーソングライターブームが一巡した後の「ロックミュージックの産業としての固定化」の方に70年代初頭のポップミュージックの面白さの真髄があるんじゃないかと思うのだ。

「ロック的なもの」が過度に「産業」として成立してしまったために、60年代的な「反体制」風味を薄れさせてしまったのは事実なんだろうけど、それを「堕落」したと捉えるような無邪気さってゆーか頭の悪さとは無縁でいたいと心底思う。

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てなわけで、Elton Johnである。

彼がポップミュージック史上類稀なソングライターであり、最良のメロディーメイカーの一人であることは、今日ではほぼ疑いようがない歴史的事実として確定している。それに疑義を挟むものがいるとしたら、単に無知なだけか、あるいは何らかの形で情緒が欠落しているかのいずれかであろう。
けれど、彼の活動の最盛期だった1970年代の初頭において、彼は必ずしも正当な評価を受けていたとは言い難かった。セールス的には成功していたものの、評論家からは酷評され、通ぶった極東の「洋楽」ロック・ファンからも馬鹿にされていたというのが正直なところだった。少なくとも自分が「洋楽」ロックを聴き始めた1977年の時点ではそうだった。
それは、端的に言うと彼が白木屋のポスターではなくキラキラのポップスターだったからなんだけど、更に言えばポップスターの分際でロックスターになりたがったからなんだろう。
そーゆーのを嫌がる偏狭さと言うのは理解できないわけでもないけれど、中学二年生くらいまでに治しておきたいものだ。
大概治らないんだけど。

いずれにせよ、良い意味でも悪い意味でも、Elton Johnがこの時期のロックの産業化を象徴する存在だったのは間違いない。



Elton Johnのベストソングを一曲を挙げるというのは、The Beatlesのベストソングを一曲挙げるのと同じくらい難しい設問で、意味のある回答ができる人間が存在するとも思えないのだが、個人的には敢えて挙げるなら"Goodbye Yellow Brick Road"ということにしている。
これはもう「面倒くさいからそーゆーことにしている」ということなんであって、"Goodbye Yellow Brick Road"が"Bennie and the Jets"や"Your Song"や"Honky Cat"よりも良い曲だと断定するつもりはない。ってゆーか、できないし。

この曲(邦題「黄昏のレンガ路」)は「ロックミュージシャン」としてのElton Johnの最高傑作とみなされている二枚組全17曲に及ぶ同名アルバムからの最初のシングルカット曲(ビルボードで2位止まり)だった曲で、日本ではマツダやJ-PHONEのCMソングとしても使われていた。
「オズの魔法使い」にインスパイヤされた、と歌詞を書いたBernie Taupin自身が語っているのだが、具体的にどうされたのかは理解不能である。
この時期のElton Johnにありがちな大仰で思わせぶりな歌詞と、完璧ではないものの妙に耳に残って離れないメロディーと、裏声を駆使したヴォーカル(+コーラス)と、Del Newmanのゴージャスなオーケストレーションが完璧なハーモニーを作り出している。
書いてしまうとたやすいが、恐らくもう二度と作れないだろうと思われるような奇跡的な名曲である(Elton Johnがすごいのはこのレベルの曲を複数書いているからなのだが)。


才能のある人間がその才能を充分に発揮できる環境下で金と手間隙をかけるととんでもないものができるというのが、このアルバムを最初に聴いたときの自分の感想だが、その時自分は既に悠に二十歳を過ぎていた。
ロックを聴き始めて、ほぼ10年が経っていた。

そのことを、自分は少しだけ恥ずべきことだと思い起こすのだ。



同タイトルのアルバム。
「プログレッシヴ・ロック史上に残る名盤」と言っても良いほどの先進性。




70年代初期の絶頂期のElton Johnの大ヒット曲ばかりを集めたベスト。
これ以上に完成度の高いベストアルバムは多分この世に存在しえない。

悪魔がにくい / 平田隆夫とセルスターズ (1971) 

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「ハチのムサシは死んだのさ」のみの一発屋と思われがちな平田隆夫とセルスターズの最大のヒット曲は実はこちらだ、というのは、知ってる人は誰でも知ってるし、知らない人は興味すらないという類のトリビアだろう。

そもそもこの日本歌謡史に燦然と残るべき奇妙なバンド(?)の存在について、どの程度の認識率があるのかについてすら、自分には判然としない。
自分と同世代であればほぼ100%の認識率があるだろうと思うのだが、自分より一回り下の世代くらいになると、存在すら認識されてない可能性もあるのかな、と思ってる。
センセーショナルな登場の仕方に比べて、リバイバル評価的な動きがほぼ皆無なグループなので、リアルタイム体験世代以外への浸透度はかなり低いんじゃないだろうか。
まあ、実際にリアルタイムで見てないとあのインパクトは伝わりづらいところはあるかもしれない。

1971年に発売された彼らのデビュー曲にあたるこの曲は、翌1972年の2月、オリコン1位に輝いている。
当時のチャートを見ると、トワエモワ、ペドロ&カプリシャス、尾崎紀世彦、欧陽菲菲なんかが上位にいて、意外とベタベタな歌謡曲路線よりもかなりポップス色が強いことに気づく。この年の後半に郷ひろみ、アグネス・チャン、麻丘めぐみらがデビューし、翌年にかけて野口五郎、西城秀樹、中三トリオらがブレイクするわけなので、グループサウンズブームが去り、アイドル歌謡曲システムが完全に確立する前の過渡期にあたるということなのだろう。

セルスターズは明らかにグループサウンズではなかったけれど、フォークでもなかった。ムード歌謡グループでもなかったし、ピンキーとキラーズの二番煎じというわけでもなかった。
自分たちで曲を作って演奏しているのだから、「ニューミュージック」的ではあるが、この当時はそーゆーカテゴリーはなかった。
ルックス的にはパンタロンにトンボ眼鏡やヒゲや長髪、といかにもアンダーグラウンド的、ヒッピー的なキャラクターを前面に出してたので、立ち位置としてはフォーク寄りだったのだろうけれど、その割に曲がストレートにポップス的すぎた。
彼らの狙いとしては日本版セルジオメンデス&ブラジル'66だったらしいが、ラテンな感じはあまりしない。けれど、確かにスパニッシュ風のギターや、控えめにさらっと入るホーンなんかに、ラテンミュージックが主流だったロック以前の「洋楽」の匂いを感じることはできる。

この曲の次のシングルが「ハチのムサシは死んだのさ」なのだが、これはオリコンの順位で見ると最高位が8位。トータルでも20万枚程度しか売れておらず、65万枚も売れた「悪魔がにくい」に比べるとあくまでセールス的には下がってることになる。
いわゆる一発屋が陥りがちなシークエンスと言えるだろう。
が、一般には彼らが記憶されているのは「ハチのムサシは死んだのさ」によるところが大きい。こちらの方が、歌詞のユニークさ、振り付けの面白さもあって若年層にもアピールしたために実際のセールス以上に知名度が高いということなのだろう。
実際、この年に最初で最後の出場を果たした紅白歌合戦で彼らが歌ったのは「ハチのムサシは死んだのさ」だった。

自分も彼らの存在を初めて認識したのは「ハチのムサシは死んだのさ」によってで、その後「悪魔がにくい」も彼らの曲であることを追認したというシークエンスだったりする。曲の完成度としても「ハチのムサシは死んだのさ」の方が上なのは間違いないが、それでも自分は、彼らのユニークさを強調するような「ハチのムサシは死んだのさ」よりも、大ヒット曲にも関わらず顧みられることの少ない「悪魔がにくい」の方が、彼らのポジションをよく表しているのではないかという気がする。

まあ、冷静に考えてみると、歌も演奏もかなりビミョーなレベルだったりするわけだけど。


「ゴールデン☆ベスト」
いきなり1曲目が「悪魔がにくい」。
「生きながらブルースに葬られ」がJoplinのカバーなのかどうかが気になります。

Raindrops Keep Fallin' On My Head / B.J. Thomas (1969) 

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1960年代のヒットチャートにおいて最も支配的だったのは実はビートルズでもブリティッシュ・インヴェージョンでもフラワームーヴメントでもなくモータウンだったわけだけど、モータウンがロック・ミュージックとクロスオーバーしていくにつれてチャートアクション的には地味になっていったのは事実で(ティーン層に狙いを絞ったJackson 5は例外)、それに取って代わったのがシンガーソングライターとティーニーポップだったというのがポップス史の正史。
そーゆー意味でも1960年代最後のビルボードNo.1ヒットがThe Supremesの"Someday We'll Be Together"で、1970年代最初のNo.1ヒットが"Raindrops Keep Fallin' On My Head"だったというのは非常に象徴的だと言って良いだろう。

アメリカン・ポップス黄金時代1970年代の最初のビルボードNo.1ヒットの栄誉に浴した"Raindrops Keep Fallin' On My Head"(邦題は「雨にぬれても」)はティンパンアリーの鬼才Burt Bacharachが映画「Butch Cassidy and Sundance Kid 明日に向かって撃て」のために書いた主題歌。映画の中ではキャサリン・ロスとポール・ニューマンが自転車に2人乗りして走っていく場面でインストバージョンが使われていて、非常に印象深い有名なシーンになっている。
Bob Dylanに歌唱を依頼したが断られたという説が流布されてるけど、これは事実ではないようだ。正しくはRay Stevensに依頼したところ断られて、Dionne Warwick(60年代のヒット曲の多数をBurt Bacharachが書いていた)の紹介でメンフィスブルース系のシンガー(ソングライターではない)B.J. Thomasにお鉢が回ってきたということらしい。
サウンドトラックバージョンのレコーディングの日、B.J. Thomasは風邪を引いてドクターストップがかかってる状態で喉に注射を打ってレコーディングに臨んだのだという。
そのため普段よりもハスキーな声で主演のポール・ニューマンの声に似てたため映画会社のエグゼクティブは喜んだそうだ。
シングルバージョンのレコーディング時には喉は完治していたので声が全く違う。
サウンドトラックバージョンの方がふだん耳にする機会が多いだろうし、B.J. Thomasはビミョーに一発屋っぽいので、あの声がB.J. Thomasの地声だと思ってる人が多いのだろう。
自分もシングルバージョンの音源は持ってないので現時点では違いは確認はできないが、耳にしたことは幾度かあるので2バージョンが存在することは間違いない。
夥しい数のベストアルバムが発売されてるが、どれにどちらのバージョンが入ってるかはわからない。
Amazonで視聴した限りでは8:2くらいでサウンドトラックバージョンの方が多いようだ。
自分もシングルバージョンが欲しいのだが、今生きてる盤のものはほぼ全てサウンドトラックバージョンが収録されている。
残念。

ちなみにB.J. Thomasを一発屋だと思ってる人が多いようだが、彼は全く一発屋ではない。
彼は、この曲以外に4曲ものトップ10ヒットを持っているのだ。
「“愛しのキャリアガール”がオリコントップ50に入っているので円広志は一発屋ではない」などというのとはまるでスケールが違う一発屋ではなさである。注意を促したい。


「明日に向かって撃て」のサントラ

Pop Muzik / M (1979) 

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「ポップミュージック」について書くというblogの第一回目のエントリがMの"Pop Muzik"っつうのは単なる一発ギャグでしかないですが、何にしろ曲名が「ポップ・ミュージック」そのものなんだから、これ以上にポップ・ミュージックを象徴する曲は他に存在し得ないはずです。
っつうことで第一回目のお題はこれ以外に考えられません。

まさにこれこそがポップスの中のポップス、ポップ・ソング・オブ・ザ・センチュリー。
この曲とPop Groupの"Y"こそが真のポップス・マニアのバイブルですよ(違)。
真の「ニューウェイヴ」というのはこの曲とBugglesの"Video Killed the Radio Star"のことを指します(更に違)。
びっくりするほどニューウェイヴ・ポップス。

ポップス黄金時代の70年代の最後に、来るべきニューウェイヴ風のピコピコサウンドでチャートを席巻した一発屋で、一般的には色モノ系っぽく捉えられてますが、その当時としては新たな時代の予兆を感じさせるちょっと今風なサウンド的ノリで紹介されてたりしたことは秘密です。
その当時のビルボードHot100的ニューウェイヴ界隈の中では、DevoとかB-52'sあたりが裏で、BlondieやThe Carsあたりが表だとしたら、Knackと並んでちょうど中間あたりの立ち位置だったとこじつけることはできるんじゃないかと。
今思い起こしてみると、表も裏もあまり変わらない感じですが。



"Pop Muzik"収録のアルバム"Pop Muzik"



歌ってるMは本名をRobin Scottというイギリス人。
"M"というステージネームは、パリにいたときに、地下鉄を表す"M"(Metroの頭文字でしょう、多分)というサインを見て思いついたとのこと。
本人いわく、「過去25年(もちろん1979年時点での話)のポップ・ミュージックの歴史をサマライズした曲」なんだそうですが、ちょっと編集しすぎな感じはしますな。

自信満々のScottさんは、その後坂本龍一とコラボやったりしてましたが、結局見事な一発屋で終わりました。
後年、Ray Parker Jr.の"Ghostbusters"を盗作として訴えて勝訴してるので、それなりの実入りは確保してるんじゃないかとは思います(それにしてもこの2曲、ベースのリフが全く同じだよ)。

最近ではJTの"Delight Factory"とかゆーわけのわからんコンセプトのCMに使われてます(しばらくの間、ここで映像が見られます)。

何だかんだで意外と印税収入があるんじゃないかと思われるので、一発屋でもここまで売れれば安泰でしょう(カラオケからの収入はあまりなさそうですが)。
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