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DESIRE / 中森明菜 (1986) 

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1980年代の日本の歌謡界は松田聖子と中森明菜を中心に回っていたと言っても過言ではない。

なんて感じで軽く書いちゃいがちなんだけど、落ち着いて考えると、中森明菜って、松田聖子のようなパッケージ的完成度とは全く別世界の存在だったわけで、同じ系列で論じるのはまずいだろうなあ、という気がする。
実際、今、この二人の曲を聴いてみたら、松田聖子の作品はどれもwell produceされてて楽曲の完成度が非常に高いし、その中で松田聖子のヴォーカルが極めて秀逸であることが万人に理解できるような普遍性を確保している。

それに対して、中森明菜は相当マニアックだ。
例の“明菜ビブラート”だって、昔は皆カラオケで真似したもんだなんてことを知らなければ相当にウザイ。
同時代を過ごしたものでなければわからない凄みがある、ということにしないとどうにも都合が悪い部分が、それなりに彼女に熱中した自分にはある。


中森明菜の歌唱力というのは意外とビミョーなところがあって、出世作となった「少女A」でも「わーたーしーしょおおじょえ~え」の「え~え」のところの音のずれ方がたまらないというフェティッシュな評価が大半を占めていたように、実力派と言いつつ実はそれほど力量は高くないという、後の工藤静香的なポジションにあったのである。
いや、まあ、あそこまでひどくはないけどさ。
「少女A」でのケースは単に外しちゃっただけとしても、その後の中期以降の曲で低音部がややフラットする外し方はわざとやってる部分もあったりするので、一概に下手と断じるのはアレなんだけど、少なくとも教科書的な巧さとは無縁の人であることは論を待たない。
そこら辺は同じように昭和歌謡史に名を残すべき女性歌手でも、松田聖子とか美空ひばりなんかとは明らかに違うところで、そーゆー意味では山口百恵の系譜に連なるべき人なんだろうけど、中森明菜と山口百恵の類似性を論ずる文章なんて書いても何の新鮮味もないので自分は意地でも書かない。デビュー前の中森明菜が山口百恵wannabeだったのは超有名すぎてわざわざ書くまでもないような歴史的事実であるわけだし。
といいつつ、中森明菜がその卓越したレコードセールス実績に比して、山口百恵的な歌謡史上に残る伝説を創り損ねたと言う印象を持ってしまう部分はどうしても拭えなかったりして、って、結局比較論になっちゃってるよ。
山口百恵も実はその最終的な完成形においては宇崎竜童と阿木陽子によるパッケージ作品としての性格が強かったわけで、本能任せの中森明菜の天才っぷりとはやはり距離がある。

意外と論じられないのだけど、中森明菜のシングル曲はほとんどライターの重複がない。
松田聖子が基本的に松任谷由実と財津和夫とのコラボレーションを基軸にしていたのとは好対照である。
中森明菜のシングル曲の選定には明菜本人の意思が強く反映されていたと言われているが、これだけ異なるライターの曲が選ばれているところを見ると、あるいは連続したコラボを避けるという点だけはスタッフと本人の間で統一された意思だったのかもしれない。
改めて並べて聴いてみると、これだけカラーの違う曲を歌いこなしている中森明菜の力量はすごいと感じる一方で、作品としての一貫性が全くないことに驚かされる。

何だかんだ言って、松田聖子は正統派アイドルポップ的な財津カラーとニューミュージック派のユーミンカラーをうまく切り替えながら、時折細野晴臣や尾崎亜美なんかを挟んで志向がモノトーン化するのを防いでるという感じで作家の起用に戦略性が見て取れるのだが、中森明菜のシングルディスコグラフィーにはそれが全く感じられない。
デビュー直後こそ、ツッパリ歌謡路線とスローバラード路線を交互にリリースするという戦術レベルの意図は見られたけれど、その意図は「サザン・ウインド」以降は曖昧になっていく。
「サザン・ウインド」以降起用した作家を順に並べていくと玉置浩二-高中正義-井上陽水-松岡直也-都志見隆-タケカワユキヒデ-鈴木キサブロー-国安わたる-佐藤健となってて、タケカワユキヒデあたりまでは、あまりアイドルには曲を提供しないようなビッグネームを選んでいるような感じだけど、意外性を狙ったというよりは、単純に他の歌手に書いてない作家を選んでいるだけだったんじゃないかという気はする。


で、「DESIRE」なんだけど、この曲は二年連続のレコード大賞受賞曲となった曲で、中森明菜の絶頂期を示す代表曲だが、曲を書いた鈴木キサブローは、それまでの実績としてはH2Oの「想い出がいっぱい」と渡辺徹の「約束」が目立つ程度のB級作曲家で、作家の質が落ち始める契機となった曲でもある。
鈴木キサブローとしても唯一無二の代表曲と言って良いだろう。
ビッグネームの起用がなくなった原因は、提供曲を扱き下ろすことも度々だったという明菜のわがままに一流ライターが皆そっぽを向いたからだというような風評が立ったこともあるが、真相はよくわからない。

中森明菜の魅力は静から動への切り替えの見事さにある、なんて書くとあまりに月並みすぎるが、この曲で見られる、やたらとキーが低いAメロでの抑えた調子から、サビで一気に“明菜ビブラート”を全開にさせるパターンは前年のレコード大賞を取った「ミ・アモーレ」と同様で、これが明菜節ともいうべき王道なのだろう。
「SAND BEIGE」、「SOLITUDE」と、平板で抑揚のないバラード調の曲が続いた後だっただけに、ファンから絶大な支持を受けたのも頷けるが、明菜本人はロック調の曲はあまり好みではなかったようで、この後、こーいったビートの利いたシングル曲は一曲もリリースされていない。
この後、中森明菜は見事に抑揚に乏しいバラード曲ばかりをリリースし続け、セールス面ではジリ貧になっていく。
自らの資質と音楽的嗜好が合わなかったということなのだろうけど、勿体無いとしか言いようがない。
“シンガー”中森明菜をきちんとプロデュースできるスタッフがついていたら、もっと刺激的なコラボレーションが生まれたんじゃないかと思うと同時に、彼女はそーいったいかにも商業パッケージ的な枠にはめられなかったからこそ光を放っていた部分もあったんだろうと感じる部分もあったりして、複雑な思いがよぎる。

そして、不世出の歌手中森明菜の歌手生命を実質上断ったのは、失恋の末の自殺未遂(実際には家族との金銭トラブルだったらしいが、当時はそう信じられていた)といういかにもゲーノー界的なスキャンダルだったというのが、返す返すも皮肉としか言いようがない。
考えてみれば、スキャンダルを食い物にする松田聖子のいかにも芸能界的なセルフ・パッケージ能力の前では、失恋や金銭トラブルでリストカットする中森明菜のピュアさは全くもって無力だったのだろう。
それを不幸だと感じるのは、また、いかにも芸能界的な価値観でしかないような気はする。


何を信じればいいの
スキャンダルさえ
時代のエクスタシーよ

ぶつかり合って 廻れ desire
星のかけらを 掴め desire
夢は そうよ 見る前に
醒めてしまったら
何にもならない


この下りだけ見るとこの曲は、中森明菜よりも松田聖子が歌うべき曲だったんじゃないかという気がしないでもない。

酷な話だけど、天才だったはずの中森明菜は常人としてのリアリティの中に埋没してしまった。
そっちの方が人間くさい感じはするけど、「アーティスト」としてはダメなんだろうね。


リリース順にシングル曲が並んでるベスト盤。
明菜の進化が見て取れます。月並みだけど。
楽曲の完成度で勝負するタイプじゃないとしても、最後の方はかなりつらくなってるのがわかるんじゃないでしょうか。

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