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Thank You For The Music / ABBA (1977) 

随分長いことほったらかしにしちゃってますが、コメント欄で煽られちゃってる通り、勢いで始めたもののネタが切れちゃってました。
正確に言えば、書きたいネタはあるけど纏まらないというか。

その時の気分に任せて好きなネタを書くというスタイルではなかなか続かないと言うことがわかりましたので、これからは秩序立てて書き進めて行きたいと思います。
秩序と言えば時代順でしょうが、ポップ・ソングについて語るというこのblogの意図を正確に反映するとなると、ガーシュウィンやクルト・ワイルあたりから始めなければならなくなって、めちゃくちゃ大げさな話になってしまうので却下。
だいたい「マック・ザ・ナイフ」なんて、尾藤イサオが歌ってたということくらいしか知りませんよ(半嘘)。


こーゆー場合、安直ではありますが、やはりアルファベット順が無難ですかね。
大概CDなんかを整理する時はアルファベット順ですし。


っつうわけで、まずはABBAです(当然)。

ABBA


アルファベット順でこれに勝てるとしたら、Hank Aaronくらいでしょうが、Hank Aaronは日本のホームラン王とは違って「白いボール」みたいな曲をレコーディングしてないと思うので対象外です(「ベースボール・ブギ」なら可能性はありそうですが<ないよ)。
また、こーゆーケースではファミリーネームでソートするのが一般的なので、Aaron NevilleとかAaron Carterは頭文字Aにならないので要注意。
ちなみに、あいうえお順だと阿井英二郎が最強だと思われます<野球選手だって。
いろは順だと(ry(割愛)。



ということでどーでもいい話が続きますが、自分史的に振り返ってみますと、いわゆる「洋楽」を聴き始めた厨房の頃、最もセールス・パワーがあった舶来アーティストがABBAでした。
その当時(1970年代後半)はまだMTVもありませんし、広島あたりの田舎だとFM局だってNHK1局だけでした。舶来のレコードを売っている店も皆無ですし、近所の本屋ではロッキング・オンすら手に入りませんでした。
そんな状況下で厨房が「洋楽」へ入っていくとしたら、いきなりZeppとかCrimsonとかSex Pistolsなんかから入るのはむしろ少数で、もう少しソフトサウンディングな「洋楽ポップス」が入り口になることが多かったであろうことは容易に想像できます。
ABBAは厨房の洋楽入門編として非常に適していたアーティストだったと言えるでしょう。
スウェーデン出身で英語が母語でないため、歌詞が比較的単純でわかりやすかったという点も大きかったでしょうし、男女二人ずつ二組の夫婦の4人組ということでファミリー的なアトモスフィアを醸し出していたのも「洋楽=エレキ=不良」的なステレオタイプとは異なる安心感があったとも言えます。

自分の場合、洋楽に入ったきっかけはThe CarpentersやOlivia Newton Johnであって、ABBAは入り口あたりでウロウロしてたときに出会ったので、それほど思い入れがあるわけではないのですが、1978年に公開された"ABBA The Movie"は映画館まで見に行きました。
"ABBA The Album"も合わせて買いました。
この当時のABBAは欧州での大成功に続いてアメリカでも一定量の成功を収め、残された大きなマーケットは日本だけということで、日本市場に対して非常に大がかりなプロモーションを仕掛けて来たのですが、年端もいかない純朴な洋楽少年になりたてだった私は、思いっきりレコード会社のプロモーション戦略に乗せられてしまったわけです。

まあ、田舎の厨房なんてそんなもんでしょう。




この"ABBA The Album"は映画のサントラ的な位置づけだったアルバムですが、実際には因果関係は逆でこのアルバムのプロモーションとして"ABBA The Movie"があったということでしょう。
"ABBA The Movie"は1977年のオーストラリア・ツアーの模様を収録したライヴ・ドキュメントですが、映画の内容はあまり覚えていません。
ラストの"Thank You For The Music"が感動的だったのは記憶にありますが、こちらの曲目を見てもあまり記憶が甦って来ません。"Take a Chance on Me"入ってなかったんだ。へえ~。
(YouTubeに宣伝用のトレーラーがあってたのでリンクしておきます。)


ABBAへの興味はこの時がピークで、結局それ以上盛り上がることも無く過ぎて行きます。
Madonnaの"Hung Up"を聴くまでは、古き良き記憶の中に埋没していました。
恐らくはまた埋没してしまうのでしょうけど。



1990年代の初期にErasureがABBAのカバーEPを出したりして一瞬盛り上がった時にリリースされたベストアルバム。
全英1位。
代表作はほぼ網羅されているので、コアなファンで無い限りこれ一枚あれば充分と言えるが、"Eagle"と"Summer Night City"が入っていないのが難点か。
こちらのスペシャル・エディションならば、ボーナスディスクに"Summer Night City"が収録されているが、"Eagle"は入っていない。
400円分の価値があるかどうかは微妙。



っつうことで、次回はABCの"The Look of Love"(アルファベット順)

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Never Marry a Railroad Man / Shocking Blue (1970) 

shockblue.jpg


このblogのスタイルとして、ポップミュージックについて曲ベースで書いていく、という形式を一応取ってるわけだが、そうすると、何だかんだ言って自分は70年代の初め頃の音が一番好きなんだということに気づかされる。
これはロック・ファンとしての自分の立ち位置に反するので困ったものなのだが、事実なので仕方がない。

とは言え、実のところ、70年代の初め頃というと自分はまだ消防だったので、音楽に関するリアルタイムでの記憶といってもテレビの歌謡番組(「ロッテ歌のアルバム」とか)くらいしかないわけで、洋楽に関してはほとんど触れる機会などなかったのだが、それでもこのShocking Blueの曲(邦題「悲しき鉄道員」)はリアルタイムで聴いた記憶がある。
オリコンで2位まで上がったそうで、「ビューティフル・サンデー」やノーランズの「ダンシング・シスター」(いずれもオリコン1位)級の、洋楽としては破格の大ヒット曲だったようだ。

Shocking Blueといえば、全米ナンバーワンになった"Venus"が有名で、80年代にBananaramaがカバーしたこともあって、日本でも自分らより下の世代には"Venus"が代表曲ということになるんだろうけど、自分の中では断然「悲しき鉄道員」である。
アメリカでは"Venus"以外にTop40に入った曲はなく、従ってOne Hit Wonder(一発屋)として語られることが多いのだが、本国を始めとする西ヨーロッパや、日本ではヒット曲を連発しており、70年代初頭を代表するポップ・ロック・バンドという地位を固めていたと言って良い。
実は本国のオランダでも"Venus"はヒットチャートで3位止まりで、この"Never Marry a Railroad Man"は1位になってるので、こちらの方が売れたということになる。
確かに、"Venus"は当時全盛だったモータウンを意識したダンスチューンで、いかにもアメリカ向けにチューニングしました、みたいな感じであまりヨーロッパ的ではない、とこじつけてみたりするが、実際この人たちの本領は、アメリカでは売れなかった"Venus"以外のヒット曲群の方にあるという論は否定しづらいだろう。
60sユーロポップとアメリカンティーニーポップ的フレイバーと、多少のサイケロック風味がビミョーなバランスでブレンドされてるというと聞こえはいいけど、どーにもB級テーストに溢れている。むしろ、ソウルミュージック風のベースリフが印象的な"Venus"の方が例外的なのだ。

mariska1.jpg mariska1.jpg


グループサウンズ歌謡曲調のメロディーとMariska Veresの“セクシー・ダイナマイト”なルックスが、いかにも70年代な感じでバッチグーである。
由美かおるの「同棲時代」とか、安西マリア級の70年代風ダイナマイトと言ってよい。
あるいはゴーゴー喫茶で踊るオーロラ三人娘といった趣。
ちょっとアングラ風な香りを漂わせているところがポイントである。

ヴォーカルのMariska Veresは、ハンガリー人とドイツ人の混血で、父親はジプシー楽団でフィドルを弾いてたというのだから、たぶんジプシーの血を引いてるのだろう。
エギゾチックなルックスは、「野良猫ロック」の梶芽衣子とか、あの辺のセクシー路線に重なる部分がある。この系譜は、元を辿ると、ハリウッド系グラマーよりも、クラウディア・カルディナーレとかブリジット・バルドーなんかに近い線に連なるはずなんで、そーゆー意味でもヨーロッパとの親和性は高いっつうことなんだろう(意味不明)。


蛇足だが、歌の内容的には「鉄ヲタには惚れるなよ」ということのようだ(やや違)。
洋の東西を問わず鉄ヲタのパワーは凄まじいということなんだろう。




Shocking Blueの日本編集のベスト盤。
何種類も出てるけど基本は同じ。
"Shocking You"や"Hello Darkness"なんかも哀愁漂う良い曲です。

Goodbye Yellow Brick Road / Elton John (1973) 

ポップミュージックの歴史において最も幸福だった時代は、実は1970年代初頭あたりなんじゃないかと言う気がしている。

当時、「てめえらの親をぶっ殺せ」みたいな無茶を言ってたキティちゃんたちは淘汰されちゃって、ロック革命の喧騒は意外に簡単に終わっちゃったんだけど、それでもそーゆー連中を育んだ「ロックンロール」の文法はポップ・ミュージックの土壌の中にきちんと根を下ろしつつあって、いわゆるポップソングのクォリティが飛躍的に上がったのがこの時代。
自分が厨房の頃(1970年代後半)には「ロック不毛の時代」と見なされて過小評価されてた(対照的に1960年代は「黄金時代」だった)けど、「ロック」的な見地からも意外と掘り出し物が多いんじゃないかという気はする。
共同幻想から内省へ、っつうのがこの時代を表すキータームで、フラワームーヴメントの挫折がロック革命の幻想を打ち砕き、フォークやカントリーをルーツに持つシンガーソングライターがブームになったということになってるけど、それを語るのが本稿の主眼ではないし、いったん箍が外れると2GBくらいの長文を書いちゃいそうなので、この辺で自粛。
むしろ、シンガーソングライターブームが一巡した後の「ロックミュージックの産業としての固定化」の方に70年代初頭のポップミュージックの面白さの真髄があるんじゃないかと思うのだ。

「ロック的なもの」が過度に「産業」として成立してしまったために、60年代的な「反体制」風味を薄れさせてしまったのは事実なんだろうけど、それを「堕落」したと捉えるような無邪気さってゆーか頭の悪さとは無縁でいたいと心底思う。

elton_john.jpg



てなわけで、Elton Johnである。

彼がポップミュージック史上類稀なソングライターであり、最良のメロディーメイカーの一人であることは、今日ではほぼ疑いようがない歴史的事実として確定している。それに疑義を挟むものがいるとしたら、単に無知なだけか、あるいは何らかの形で情緒が欠落しているかのいずれかであろう。
けれど、彼の活動の最盛期だった1970年代の初頭において、彼は必ずしも正当な評価を受けていたとは言い難かった。セールス的には成功していたものの、評論家からは酷評され、通ぶった極東の「洋楽」ロック・ファンからも馬鹿にされていたというのが正直なところだった。少なくとも自分が「洋楽」ロックを聴き始めた1977年の時点ではそうだった。
それは、端的に言うと彼が白木屋のポスターではなくキラキラのポップスターだったからなんだけど、更に言えばポップスターの分際でロックスターになりたがったからなんだろう。
そーゆーのを嫌がる偏狭さと言うのは理解できないわけでもないけれど、中学二年生くらいまでに治しておきたいものだ。
大概治らないんだけど。

いずれにせよ、良い意味でも悪い意味でも、Elton Johnがこの時期のロックの産業化を象徴する存在だったのは間違いない。



Elton Johnのベストソングを一曲を挙げるというのは、The Beatlesのベストソングを一曲挙げるのと同じくらい難しい設問で、意味のある回答ができる人間が存在するとも思えないのだが、個人的には敢えて挙げるなら"Goodbye Yellow Brick Road"ということにしている。
これはもう「面倒くさいからそーゆーことにしている」ということなんであって、"Goodbye Yellow Brick Road"が"Bennie and the Jets"や"Your Song"や"Honky Cat"よりも良い曲だと断定するつもりはない。ってゆーか、できないし。

この曲(邦題「黄昏のレンガ路」)は「ロックミュージシャン」としてのElton Johnの最高傑作とみなされている二枚組全17曲に及ぶ同名アルバムからの最初のシングルカット曲(ビルボードで2位止まり)だった曲で、日本ではマツダやJ-PHONEのCMソングとしても使われていた。
「オズの魔法使い」にインスパイヤされた、と歌詞を書いたBernie Taupin自身が語っているのだが、具体的にどうされたのかは理解不能である。
この時期のElton Johnにありがちな大仰で思わせぶりな歌詞と、完璧ではないものの妙に耳に残って離れないメロディーと、裏声を駆使したヴォーカル(+コーラス)と、Del Newmanのゴージャスなオーケストレーションが完璧なハーモニーを作り出している。
書いてしまうとたやすいが、恐らくもう二度と作れないだろうと思われるような奇跡的な名曲である(Elton Johnがすごいのはこのレベルの曲を複数書いているからなのだが)。


才能のある人間がその才能を充分に発揮できる環境下で金と手間隙をかけるととんでもないものができるというのが、このアルバムを最初に聴いたときの自分の感想だが、その時自分は既に悠に二十歳を過ぎていた。
ロックを聴き始めて、ほぼ10年が経っていた。

そのことを、自分は少しだけ恥ずべきことだと思い起こすのだ。



同タイトルのアルバム。
「プログレッシヴ・ロック史上に残る名盤」と言っても良いほどの先進性。




70年代初期の絶頂期のElton Johnの大ヒット曲ばかりを集めたベスト。
これ以上に完成度の高いベストアルバムは多分この世に存在しえない。

Raindrops Keep Fallin' On My Head / B.J. Thomas (1969) 

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1960年代のヒットチャートにおいて最も支配的だったのは実はビートルズでもブリティッシュ・インヴェージョンでもフラワームーヴメントでもなくモータウンだったわけだけど、モータウンがロック・ミュージックとクロスオーバーしていくにつれてチャートアクション的には地味になっていったのは事実で(ティーン層に狙いを絞ったJackson 5は例外)、それに取って代わったのがシンガーソングライターとティーニーポップだったというのがポップス史の正史。
そーゆー意味でも1960年代最後のビルボードNo.1ヒットがThe Supremesの"Someday We'll Be Together"で、1970年代最初のNo.1ヒットが"Raindrops Keep Fallin' On My Head"だったというのは非常に象徴的だと言って良いだろう。

アメリカン・ポップス黄金時代1970年代の最初のビルボードNo.1ヒットの栄誉に浴した"Raindrops Keep Fallin' On My Head"(邦題は「雨にぬれても」)はティンパンアリーの鬼才Burt Bacharachが映画「Butch Cassidy and Sundance Kid 明日に向かって撃て」のために書いた主題歌。映画の中ではキャサリン・ロスとポール・ニューマンが自転車に2人乗りして走っていく場面でインストバージョンが使われていて、非常に印象深い有名なシーンになっている。
Bob Dylanに歌唱を依頼したが断られたという説が流布されてるけど、これは事実ではないようだ。正しくはRay Stevensに依頼したところ断られて、Dionne Warwick(60年代のヒット曲の多数をBurt Bacharachが書いていた)の紹介でメンフィスブルース系のシンガー(ソングライターではない)B.J. Thomasにお鉢が回ってきたということらしい。
サウンドトラックバージョンのレコーディングの日、B.J. Thomasは風邪を引いてドクターストップがかかってる状態で喉に注射を打ってレコーディングに臨んだのだという。
そのため普段よりもハスキーな声で主演のポール・ニューマンの声に似てたため映画会社のエグゼクティブは喜んだそうだ。
シングルバージョンのレコーディング時には喉は完治していたので声が全く違う。
サウンドトラックバージョンの方がふだん耳にする機会が多いだろうし、B.J. Thomasはビミョーに一発屋っぽいので、あの声がB.J. Thomasの地声だと思ってる人が多いのだろう。
自分もシングルバージョンの音源は持ってないので現時点では違いは確認はできないが、耳にしたことは幾度かあるので2バージョンが存在することは間違いない。
夥しい数のベストアルバムが発売されてるが、どれにどちらのバージョンが入ってるかはわからない。
Amazonで視聴した限りでは8:2くらいでサウンドトラックバージョンの方が多いようだ。
自分もシングルバージョンが欲しいのだが、今生きてる盤のものはほぼ全てサウンドトラックバージョンが収録されている。
残念。

ちなみにB.J. Thomasを一発屋だと思ってる人が多いようだが、彼は全く一発屋ではない。
彼は、この曲以外に4曲ものトップ10ヒットを持っているのだ。
「“愛しのキャリアガール”がオリコントップ50に入っているので円広志は一発屋ではない」などというのとはまるでスケールが違う一発屋ではなさである。注意を促したい。


「明日に向かって撃て」のサントラ

Pop Muzik / M (1979) 

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「ポップミュージック」について書くというblogの第一回目のエントリがMの"Pop Muzik"っつうのは単なる一発ギャグでしかないですが、何にしろ曲名が「ポップ・ミュージック」そのものなんだから、これ以上にポップ・ミュージックを象徴する曲は他に存在し得ないはずです。
っつうことで第一回目のお題はこれ以外に考えられません。

まさにこれこそがポップスの中のポップス、ポップ・ソング・オブ・ザ・センチュリー。
この曲とPop Groupの"Y"こそが真のポップス・マニアのバイブルですよ(違)。
真の「ニューウェイヴ」というのはこの曲とBugglesの"Video Killed the Radio Star"のことを指します(更に違)。
びっくりするほどニューウェイヴ・ポップス。

ポップス黄金時代の70年代の最後に、来るべきニューウェイヴ風のピコピコサウンドでチャートを席巻した一発屋で、一般的には色モノ系っぽく捉えられてますが、その当時としては新たな時代の予兆を感じさせるちょっと今風なサウンド的ノリで紹介されてたりしたことは秘密です。
その当時のビルボードHot100的ニューウェイヴ界隈の中では、DevoとかB-52'sあたりが裏で、BlondieやThe Carsあたりが表だとしたら、Knackと並んでちょうど中間あたりの立ち位置だったとこじつけることはできるんじゃないかと。
今思い起こしてみると、表も裏もあまり変わらない感じですが。



"Pop Muzik"収録のアルバム"Pop Muzik"



歌ってるMは本名をRobin Scottというイギリス人。
"M"というステージネームは、パリにいたときに、地下鉄を表す"M"(Metroの頭文字でしょう、多分)というサインを見て思いついたとのこと。
本人いわく、「過去25年(もちろん1979年時点での話)のポップ・ミュージックの歴史をサマライズした曲」なんだそうですが、ちょっと編集しすぎな感じはしますな。

自信満々のScottさんは、その後坂本龍一とコラボやったりしてましたが、結局見事な一発屋で終わりました。
後年、Ray Parker Jr.の"Ghostbusters"を盗作として訴えて勝訴してるので、それなりの実入りは確保してるんじゃないかとは思います(それにしてもこの2曲、ベースのリフが全く同じだよ)。

最近ではJTの"Delight Factory"とかゆーわけのわからんコンセプトのCMに使われてます(しばらくの間、ここで映像が見られます)。

何だかんだで意外と印税収入があるんじゃないかと思われるので、一発屋でもここまで売れれば安泰でしょう(カラオケからの収入はあまりなさそうですが)。
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