スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

The Letter / The Box Tops (1967) 

The Box Tops



Gimme a ticket for an aeroplane,
Ain't got time to take a fast train.
Lonely days are gone, I'm a-goin' home,
'Cause my baby just a-wrote me a letter.

 飛行機のチケットを一枚くれよ
 列車に乗ってく時間がないんだ
 孤独な日々は終わり、俺は家に帰る
 あの娘が手紙を書いてくれたんだ



若干16歳のAlex Chiltonがヴォーカルを務めていた60sの泡沫ブルーアイドソウルグループThe Box Topsの全米No.1ヒット曲。
邦題は「あの娘のレター」。
アメリカでは60年代のコンピレーションものの常連となっている曲で、日本で言えば「ブルーシャトー」とか「ブルーライトヨコハマ」くらいの格は充分にある。
いわゆるエヴァーグリーンのヒット曲ということで、Joe Cockerを初めとして幾多のカヴァーヴァージョンを生んでいる。

この曲を歌っていたAlex Chiltonの名前に過剰な意味を見出すのは80年代インディーズ・ラヴァーだけなのだろうけど、それでも彼が1972年から1975年の間、Big Star時代に残した作品を聴けば、(自分を含めて)ある種の人たちはその音が今も輝きを失わないことに驚きを覚えるに違いない。
「輝きを失わない」どころか、時を経るに連れて輝きが増しているようにすら感じられるのは単なる年寄りの勘違いではあろうけれど、今の時代のヴァイブレーションからそう遠くはずれていないように感じられることもまた事実である。
今の時代のロックがループしているだけなのかもしれないけれど、Big StarはThe Modern Loversなんかと並んで典型的な早く来すぎたアーティストということなのだろう。
彼らが、何故早く来すぎてしまったのかはわからないけれど、ロックの歴史が必ずしも直線形の進化を示しているわけではなくむしろ循環形であることを考えると、彼らの卓越した先見性が災いしたという解釈よりは実際のところ単純に巡り合わせの問題だと考える方が妥当のような気がしないでもない。

Alex Chiltonの商業的な成功は彼にとっての最初のレコーディングキャリアであるThe Letterがいきなりのクライマックスで、その後は一方的に落ちていくだけだった。
デビューシングルの大成功の後、3枚目のシングル"Cry Like a Baby"が全米2位になったあたりまでが活動のピークで、その後はトップ20ヒット1曲を放っただけに終わったThe Box Topが1970年に解散すると、Chiltonは単身ニューヨークへと渡り、ソロでのキャリアをスタートさせようとした。
しかし、ニューヨークではレコード会社からのオファーもなく、レコーディングを始めることすら適わなかった。Chiltonは失意のうちに故郷メンフィスへと戻り、縁故を頼ってセッション・ミュージシャンを集めてソロアルバムのレコーディングを開始する。
このアルバムはAtlanticからのリリースされる計画があったらしいのだが、結局その予定は覆り(元々シングルのみのディールだったとの説もあり)、お蔵入りしてしまった(このうちの一部は再評価後の1985年に発売された"Lost Decade"で聴くことができる)。
二度の挫折を経て、彼は最後の手段としてバンドを結成する。それが地元メンフィスでの旧友Chris Bellと組んだBig Starである。
そのバンド名に反して、あるいはそのデビューアルバム"#1 Record"というタイトルとは裏腹に、このグループは商業的な成功とは程遠いところにいたことはよく知られているが、彼らが鳴らしていた音はロックンロールの疾走感と抒情と諧謔が入り混じったポップ・ミュージックそのものだった。
これが商業的に成功しなかったのは時代の問題と言うよりは、単にプロモーションの不在に負うところが大きかったのではないか。
このバンドの不遇の理由は機会が充分に与えられなかったこと、ただそれだけのことのような気はする。
機会が与えられなかったことまで時代のせいにするのは、過剰な運命論だろう。


1980年代の半ば、R.E.M.がAlex Chiltonへのリスペクトを表明するまで、彼の名前はThe Box Topsの若きヴォーカリストとして60sラヴァーの記憶の中に留まっていただけだった。
R.E.M.の表明のお蔭でThe Box Tops以降の彼の活動に俄かにスポットライトが集まり、Big Starのレコードの再発盤や70年代のソロワークを集めたコンピレーションがリリースされたことは喜ばしい出来事だったが、この期に乗じて彼が新しくリリースした新譜はあまりキャッチーではないR&Bやゴスペルの緩いカバー集だった。
以来、一貫して彼はBig Star時代に垣間見せたソングライターとしての力量を披露することなく、一般的な基準からすると出来が悪いとしか評しようのないカバーソングをリリースし続けている。
その緩さ、ダルさに価値を見出す人間がいることは否定しないが、そこに汎用性を見出すことは困難だ。
さらに厳しいことを言えば、時間が限られている中で、夥しい数の優れた音楽が存在するのにも関わらず、わざわざゴミのような類のものを選択する必然性もないだろう。

80年代以降のAlex Chiltonを崇める人たちが考えていることは理解できるし、他人の趣味を論っても仕方ないとは思うが、それは彼がBig Starで見せたコンテンポラリーロックの未来(あるいは既に過去だったのかもしれないけれど)を否定するに等しい愚挙のような気がしてならない。
もちろん、それも一ロック・フリークの戯言に過ぎないことは重々承知の上ではあるが。

要は、巡り合わせの問題、なのだろう。


The Letter/Neon Rainbow
"The Letter"収録のThe Box Topsのオリジナルデビューアルバム。
"The Letter"以外にTop20ヒット"Neon Rainbow"も収録。
"Cry Like a Baby"は入ってません。
一枚で収めたいなら"The Best of the Box Tops: Soul Deep"あたりがお奨め(たぶん)。



#1 Record/Radio City Third/Sister Lovers
Big Starのオリジナルアルバム。
1枚目と2枚目は2in1でCD一枚に収められている(左)。
3枚目(右)は録音後お蔵入りになっていたのが、1978年にパンク・ブームで再評価が始まったイギリスでリリースされたもの。


Nobody Can Dance
2枚目と3枚目の間の期間のライヴやスタジオでのリハーサルを集めたコンピレーション。貴重な音源と言う以上のものではないけれど、"The Letter"のBig Starとしてのライヴバージョンが聴けるのが唯一の美点。


Lost Decade
70年代の未発表ソロ作品を集めたコンピレーション。R.E.M.のお蔭で世に出たようなものと言って過言ではないか。


スポンサーサイト

Rainy Day Woman #12&35 / Bob Dylan (1966) 

Dylan2.jpg



The Beatlesについて書いたのだから、Bob Dylanについても書いておかないといけないだろう。
「ポップ・ミュージック」を語る上ではそういうバランス感覚はとても大事だ。



Bob Dylanが偉大なロック・ミュージシャンであることに異論を挟むものは少ないだろう。
グラミー賞が1979年に"Rock Vocalist of the Year"を新設したとき、それほど目立った活躍をしたわけでもないBob Dylanが選ばれたのは過去に果たした功績のお陰だとも言われた。Dylanに影響を受けたミュージシャンを挙げるだけでロックの歴史は語れてしまうかもしれない。
だが、彼自身が本当にロック・ミュージシャンとして時代を創るような動きをしていたのは"Bringing It All Back Home"で本格的にロックに“転向”した1965年と、ロック史上に残る名盤"Blonde on Blond"をリリースした後バイク事故を起こし休養に入った1966年までの実質2年にも満たない期間だけ、ということもできる。
今や伝説となった1965年7月のニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキギターを手にしてから、1966年7月にバイク事故で休養を余儀なくされるまでのわずか1年という期間をロック・ミュージシャンDylanはフルスロットルで駆け抜けた。その速度が余りに速すぎたため、どこかで止まる必要があったのだろう。それが彼自身の意志ではなく、事故という外的な要因によるものだったのは今となっては示唆的である。

Dylan_newport.jpg


"Rainy Day Woman #12&35"(邦題「雨の日の女」)は、Dylanが“ロック・ミュージシャン”として活動したごくわずかの期間の最後にリリースされたアルバム"Blonde on Blonde"のオープニングを飾るナンバーで、Billboardで2位まで上がったBob Dylanとしては最大のシングルヒット曲でもある。
ディキシーバンド調のブラス・サウンドに乗せて、Dylan節としか言いようのない独特の節回しで歌われるこの曲は、決してヒットポテンシャルの高いポップソングとは言い難いが、何度か聴くと耳について離れない特異性がある。
まさにDylanならではのヒット曲といったところだが、こんな曲がチャートインしてヒットしてしまうくらい、この当時のDylanの存在はセンセーショナルだったということなのだろう。


Well, they'll stone ya when you're trying to be so good.
They'll stone ya just a-like they said they would.
They'll stone ya when you're tryin' to go home.
Then they'll stone ya when you're there all alone.
But I would not feel so all alone,
Everybody must get stoned.

あなたがいい人でいようとすると、やつらは石で打つだろう
やつらが言ったとおりに、やつらは石で打つだろう
あなたが家に帰ろうとすると、やつらは石で打つだろう
そして、あなたが一人であそこにいると、やつらは石で打つだろう
けれど、私はあまり孤独を感じない
みんな石で打たれるべきなのだ


世に言われるようなドラッグソングと決め付けるにはあまりに想像力を掻き立てられる歌詞である。
ドラッグソングに見立てた世論への更なる反駁の要素も感じられるし、またタイトルを考えるとある種の性的な暗喩ともとれなくもない。

ロック転向直後の"Bringing It All Back Home"や"Highway 61 Revisited"ではどちらかというと直接的な社会風刺や世論への揶揄を攻撃的なサウンドに乗せていた感があるのに対し、ここでの暗喩はもっと個人的なものに向いており、ややソフトサウンディングになった作りとあいまって、ある種のレイドバック感すら感じさせる。例えば、前年ヒットチャートの2位に入る大ヒットとなったこの当時のDylanを象徴する曲である"Like a Rolling Stone"("Highway 61 Revisited"収録)などと比べても音の構成がすっきりし、Dylanのヴォーカルが前に出ている印象を受ける。その分、描かれた詞の世界は前にも増してイメージ豊かで暗喩に満ちたものになっている。
これはこの曲に限ったことではなく、この曲が収録された名盤"Blonde on Blonde"を通じて言える特徴だったりする。やや牽強付会ながら、バイク事故は契機でしかなく、或いはDylanはここでもう退くことを考えていたのではないかとも思えるのだ。

バイク事故による2年の休養以降のBob Dylanはまるでこの時代の熱を忘れたかのように“私小説的”な世界に埋没していく。メインストリーム・ロックがコマーシャリズムの波に飲まれて、かつて持っていた輝きを失いはじめるのと歩調を合わせて、Dylanはロックへの関心を失ったかのようなカヴァーアルバムやカントリー調のアルバムをリリースする。まるで“時代を創る”ことに興味を失ったかのように。

Dylanが不在の67年から69年の間に疾走したミュージシャンは殆どが、来るべきコマーシャリズム時代への適応に失敗し、多くは最悪の結末を迎えてしまった。彼ら~Jim Morrison、Jimi Hendrix、Janis Joplinら~の悲劇について述べるのは本稿の目的ではないのだが、74年にThe Bandを従え、"Planet Waves"でいわゆるメインストリームに復帰した後のDylanがスタイル自体を大きく変えるわけでもなく、エヴァーグリーンの輝きを失わないでいるのは、逆説的だが、一旦メインストリームに背を向けたからなのであろう。
走らなかったことを責めるのはあたらない。少なくともBob Dylanのような優れた才能が譬えわずかの間でも疾走したことの方が重要なのだから。
彼が走らなかった間にも、彼が蒔いた種は着実に芽をだし、枝葉を伸ばしている。The BandやAl Kooperなどのように直接関わったものも、Lou ReedやBruce Springsteenのように間接的に影響を受けたものも、皆Dylanの2年足らずの疾走が産んだ遺産なのだから。


Dylan2.jpg
これは"Subterranean Homesick Blues"のビデオクリップ。
すっげーカッコイイよ。
Inxsの"Need You Tonight"のプロモはこれのパクリだ。
今となってはどーでもいいけど。




ロックの歴史上最も重要なアルバムと言っても過言ではない
とまで言うとやや過言かもしれないと思えるが、何にしろ歴史に残る名盤"Blonde on Blonde"
"Rainy Day Woman #12&35"以外にも"I Want You"や"Just Like Woman"、"Stuck with Menphis Blues Again"など有名曲満載。

Come Together / The Beatles (1969) 

beatles1.jpg


The Beatlesについて何か書く、というのは結構難しい。
The Beatlesについて何も知らない人というのはほとんどいないだろうし、そういう意味では誰でも何かが書けるのだろう。けれど、誰もが知っているThe Beatlesという存在について、誰でも書けることをわざわざこんなところで書いても仕方がない。
The Beatlesくらいメジャーな存在になれば、フリークの数も半端じゃないだろうし、熱狂的なファンは腐るほどいるだろう。ただ「普通に好き」なだけの自分が、彼らについて何かを語ろうとするのはどこかおこがましくもある。
けれど、ロックに限定せずとも、ポピュラーミュージックについて何かを語りたければ、The Beatlesについて何かを語らなければ何も始まらない、というのも事実だ。そういう意味では彼らは自分のような「平均的なロック・ファン」にとってはとても厄介な存在だったりもする。

The Beatlesについて触れた表現は文章に限らず数多いけれど、納得したり、感動したりした記憶は少ない。
かと言って逆に憤りを覚えたり、反発を感じたりしたことも、またそれほどない。
ほどほどに満足し、ほどほどに違和感を感じるのだ。
それは自分がThe Beatlesの曲に感じる感覚と同じだったりする。
簡単に言うと「そんなに好きではない」ということになるのだろう。
今、これを書いている自分の感覚としてはそれに近い。
けど、逆に言うと「まあまあ好き」なのだとも言える。
いずれにせよThe Beatles自体に抱く違和感より、The Beatlesへの評価に対して感じる違和感の方が強いということは言えると思う。

The Beatlesが偉大なのは彼らの音楽が優れていたからではなく、マーケットが求めていた商品を最適のタイミングで供給したからだ、という論が、主に渋谷陽一や北中正和といった正にビートルズ世代の評論家によって唱えられているのは興味深い。これが追体験の世代になるほど、マーケット論とは離れた「精神性」とか"Love & Peace"とかいった抽象的な部分でThe Beatlesを神格化しようとする傾向が強いように感じられるのは気のせいだろうか。
実際のところ、マーケット論的な命題自体は否定しようがないだろう。
要するに、Buddy Holly(とRitchie Valens)の乗った飛行機が落ちず、Little Richardsが宗教に嵌まらず、Chuck Berryが淫行をせず、Elvis Presleyが兵役に行かなければ、The Beatlesのあれほどの巨大な成功はなかったはずなのだ。
才能あるアーティストが作る優れた音楽が必ずしも売れるわけではないし、売れるからといって優れた音楽だというわけでもない。The Beatlesの場合、商業的成功が桁外れなため音楽的成功への評価をそれと均衡させようとする心理が働くのは仕方がないのだろうけど、彼らの音楽自体に過剰な評価を与えるのは逆に彼らの業績を貶めることになるような気もしないでもないのだ。
結果としてJohn LennonとPaul McCartneyという二人のアーティストの才能が桁外れであったことについては自分も異論はないけど、彼らの最初の目的は55年から58年くらいまでの「ロックンロール黄金時代」を再現することだったはずなのだから。そしてそれは彼らが熱狂的に受け入れられた明確な理由の一つでもあった。
少なくとも、自分としてはそのロックンロール空白時代を埋め合わせる役回りを担ったのがThe Beatlesで良かったとは思う。
Herman's Hermitsだったら、ロックの歴史はかなり変わったものになってただろうし。


beatles2.jpg



自分がThe Beatlesに出会ったのは中学3年の時。
その頃自分はちょうどQueenを入り口にしてロックの世界に足を踏み入れたばかりだったが、既にLed ZeppelinとKing Crimsonをフェイヴァリットアーティストに挙げるようないっぱしのロック通気取りの中二病患者だった(に違いないと思う)。まあ、ホンマモンの厨房だったんだから仕方ないけど。
The Beatlesとの最初の接点は、映画"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"の中で、当時の自分のお気に入りバンドの一つだったAerosmithがカバーしてた"Come Together"だった。
この曲がえらく気に入ったので、非ロック系の同級生から借りて最初に聴いたのが、いわゆる「赤盤」「青盤」
いわゆる“アンチ”ロック派で、カーペンターズなんかが好きだったそいつは「赤盤」をプッシュしてたのだが、自分はやはり"Come Together"が入った「青盤」の方が好きだった(というより「赤盤」は嫌いだったという方が正確かも)。
今聴き直してみると、意外と「赤盤」の方が良い。「青盤」が悪いというわけじゃないけど、「青盤」を聴くんだったら、各々の曲が入ってるオリジナルアルバムを聴いた方が良いという感じだろうか。それだけ後期のアルバムを聴き込んだということなのだろう。

Aerosmithのカヴァーはオリジナルとアレンジはほとんど同じだった。
ヴォーカルはオリジナルの方が上品だったが、それでもJohnとしてはかなり下世話風味に歌っている。最初にJohnが書いた時には"You Can't Catch Me"そっくりだったと、後にPaul McCartneyが語ってるけど、確かに、テンポをあげてあの印象的なベースのリフを取り除けば、ほぼ"You Can't Catch Me"になる。いずれにしてもブルージーでファンキーで、ロックンロールそのものの音がそこにあった。
当時の自分はAerosmithヴァージョンの方がよりロックっぽい感じがして好きだったが、「青盤」の後に"Abbey Road"を買ってオリジナルヴァージョンを幾度となく繰り返して聴いてるうちにオリジナルの方が耳にしっくり来るようになって来た。

当時でも、必ずしも「The Beatlesで一番好きな曲」が"Come Together"だったわけではないし、一番優れた曲が"Come Together"だと思ったことももちろんないけれど、それでも自分はThe Beatlesで一曲を選ぶとしたら"Come Together"を最有力候補に挙げることを躊躇しない。

ま、実際のところは"Tomorrow Never Knows"とか言っちゃうのがロックヲタの悲しい習性だったりするわけなんだけど。


恐らくロックの歴史上最も有名なアルバム"Abbey Road"。
1曲目が"Come Together。
B面のメドレーが圧巻。



Aerosmithの"Come Together"が収録されている映画"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"のサントラ。
Bee Gees、Peter Framptonら、当時のトップスターが勢揃いした話題作でしたが、興行的には大コケでした。

People Are Strange / The Doors (1967) 

TheDoors.jpg


The Doorsは伝説だと言う。

ヴォーカリストJim Morrisonのカリスマ的なキャラクター。ジャズを基調にしたRay Manzarekのオルガンがフィーチャーされた重苦しいまでに暗いサウンド。その暗さにマッチする極めて感覚的で刺激的な歌詞。そして勿論、Jim Morrisonの悲劇的な死…。
これらの全てがThe Doorsのミステリアスなイメージを高めるのに多大な貢献をしている。

しかし、1970年代の後半までThe Doorsはある意味で忘れ去られていたのである。The Doorsの伝説が一般に知られるようになるのは実はあの有名な「地獄の黙示録」のラスト・シーンにファーストアルバム収録の"The End"が使われてからである。80年以降、Jim Morrisonの伝記や、ライヴアルバムの発表などにより、Jim Morrisonの死から10数年を経て、80年代はThe Doorsの時代になる。
だが、70年代のThe Doorsはロックファンの間でも一部でしか評価されていないような存在だった。それは意外だが、The Doorsが本質的にヒットソングメーカーであったことに起因するのだろう。

The Doorsが、60年代後半のいわゆる「革命的な」ロックアーティストの中で飛びぬけてシングルヒットが多く、セールス的に成功したバンドだということは意外に語られていない。わずか5年足らずの活動期間中のシングルヒットだけを集めて1枚アルバムが作れてしまう“サマー・オヴ・ラヴ”なロック・バンドなど実はそれほどはいない。しかもそれが、解散後10年を経た後にリリースされゴールドアルバムを獲得してしまうなどということはまず考えにくい。
例えば同じように伝説的なバンドであり、同じ文脈の中で語られることの多いThe Velvet Undergroundなどと比べると、The Doorsのコアなロックファン以外の一般リスナーへの訴求力の高さというのは一目瞭然である。The Velvet Undergroundが、Andy Warhallの加護を得てニューヨークの知識人階級の慰み物としてその生涯を終えたのに対し、The Doorsが全米中のラジオ局でエアプレイされビルボードのチャートを上っていったのだった。
ロックの持つダイナミズムや冗長なインプロヴィゼーションを排したThe Doorsの音というのは圧倒的にわかりやすいという一面があることは忘れてはならない。
音のわかりやすさと、神秘的かつ深遠なイメージの組合せが伝説に拍車をかける。それがメガセールスを誘発する。
だが、「わかりやすい」ことと「理解される」こととの間には大きな隔たりがある。
Jim Morrisonの悲劇的な死の遠因はそのギャップを埋められなかったことにあるのだろうという気はする。
シングルがヒットし、ライヴが超満員になって、大金を手にしても、周囲は自分のことを理解していない。それでもまた、レコードは売れ、契約を履行するために次のレコードを作らなければならない。そういうシステムに順応できず、ドラッグに溺れるというのはお定まりのパターンであろう。だが、それはJim Morrisonがアンダーグラウンドのカリスマではなく、ポップスターであったために起こったことなのである。


"People Are Strange"(邦題「まぼろしの世界」)は出世作"Light My Fire"の大ヒット(全米No.1)の余韻が残る1967年の秋、彼らの2枚目のアルバム"Strange Days"からの第一弾シングルとしてカットされ、ビルボードで11位まであがるヒットとなった。

People are strange when you're a stranger.
Faces look ugly when you're alone.
Women seem wicked when you're unwanted.
Streets are uneven when you're down.

あなたがよそものだと、人々はよそよそしい。
あなたが一人でいると、その顔は醜い
求められていないと、女は邪悪だ
気分が沈んでいると、道は曲がっている

歌詞を書きとめるだけで人生に絶望しかけてしまいそうになるほど強烈な疎外感を感じさせるこの曲が"Light My Fire"の大ヒットの後とは言え、ビルボードであわやトップ10という位置まで上がったというのは一種の事件である。
時代の趨勢みたいなもんはあったのだろうけど、いくら「サイケ」がブームと言ってもチャートに上がるのは"Incents and Peppermints"みたいなノーテンキなのが多かったので、やはりThe Doorsの生真面目さは異質だ。
と思いつつ聞き直してみると、メロディーもアレンジも極暗ではあるものの、非常にキャッチーではある。シンプルだけど、ポップ・ソングとして良くできてるのだ。
それがThe Doorsの真骨頂である。

この曲が入った"Strange Days"のリリース後、The Doorsはよりポップな方向へ移行していき、ヒット曲を連発する。Top10ヒットとなった"Hello I Love You"や"Touch Me"が有名だが、"Love Her Madly"や"Riders on the Storm"のような地味なスマッシュ・ヒットも放っており、センセーショナルなキャラクターに比して、チャートアクションは総じて良好だったと言って良いだろう。

The DoorsのフロントマンはJim Morrisonだと思われているが、彼は全ての曲を書いている訳ではない。曲はRobbie Kriegerがかなりの数を書いているし、アレンジに関してはRay Manzarekが中心になっていた。少なくとも音楽的にはThe DoorsはJim Morrisonのワンマンバンドではない。恐らくRay Manzarekは1stや2ndではJim Morrisonのエキセントリックな部分を強調することで、凡百の“サイケデリック”バンドなどとの差別化を狙ったのかもしれない。それ以降、グループとしてのバランスを取っていく中で、Jim Morrisonの個性はThe Doorsを構成する一要素へとその重要性を下げていった感はある。
結局のところJim Morrisonは一番近くにいるはずのグループのメンバーにさえも理解されなかったのかもしれない。

最後に蛇足だが、The Doorsはいわゆるトータルアルバムを作っていない。The Rolling Stonesさえもがトータルアルバムを作る時代にである。
作ろうとしたが作れなかったというのが実は正解だったのではあるが、それでも、自分はそのことこそがThe Doorsの一番の特徴ではないかと感じている。
The Doorsの本質がJim Morrisonのカリスマ性のみにあったのなら、どこかで彼らは演劇性の強いトータルアルバムを作っただろうという気がするのだ。それを作らなかったこと、作りきれなかったことがThe Doorsの、そしてJim Morrisonの悲劇を象徴しているように思う。
結局のところ、Jim Morrisonは最後までThe Doorsになれなかったのだろう。

Jim Morrisonを失ったThe Doorsは約2年間、彼抜きの活動を続けたあと解散した。残されたメンバーにとってはやはりThe DoorsはJim Morrisonそのものであった。



恐らくThe Doorsの最高傑作と呼び声の高い2nd "Strange Days"
1曲目がいきなり"People Are Strange"
この当時のThe DoorsはとにかくStrangeな気分だったようだ。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。