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俺のCD棚にあるCDを着々と記載していくblog 

音楽系別blog立ち上げました。

http://mycdrack.seesaa.net/

以後はこちらで。
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The Letter / The Box Tops (1967) 

The Box Tops



Gimme a ticket for an aeroplane,
Ain't got time to take a fast train.
Lonely days are gone, I'm a-goin' home,
'Cause my baby just a-wrote me a letter.

 飛行機のチケットを一枚くれよ
 列車に乗ってく時間がないんだ
 孤独な日々は終わり、俺は家に帰る
 あの娘が手紙を書いてくれたんだ



若干16歳のAlex Chiltonがヴォーカルを務めていた60sの泡沫ブルーアイドソウルグループThe Box Topsの全米No.1ヒット曲。
邦題は「あの娘のレター」。
アメリカでは60年代のコンピレーションものの常連となっている曲で、日本で言えば「ブルーシャトー」とか「ブルーライトヨコハマ」くらいの格は充分にある。
いわゆるエヴァーグリーンのヒット曲ということで、Joe Cockerを初めとして幾多のカヴァーヴァージョンを生んでいる。

この曲を歌っていたAlex Chiltonの名前に過剰な意味を見出すのは80年代インディーズ・ラヴァーだけなのだろうけど、それでも彼が1972年から1975年の間、Big Star時代に残した作品を聴けば、(自分を含めて)ある種の人たちはその音が今も輝きを失わないことに驚きを覚えるに違いない。
「輝きを失わない」どころか、時を経るに連れて輝きが増しているようにすら感じられるのは単なる年寄りの勘違いではあろうけれど、今の時代のヴァイブレーションからそう遠くはずれていないように感じられることもまた事実である。
今の時代のロックがループしているだけなのかもしれないけれど、Big StarはThe Modern Loversなんかと並んで典型的な早く来すぎたアーティストということなのだろう。
彼らが、何故早く来すぎてしまったのかはわからないけれど、ロックの歴史が必ずしも直線形の進化を示しているわけではなくむしろ循環形であることを考えると、彼らの卓越した先見性が災いしたという解釈よりは実際のところ単純に巡り合わせの問題だと考える方が妥当のような気がしないでもない。

Alex Chiltonの商業的な成功は彼にとっての最初のレコーディングキャリアであるThe Letterがいきなりのクライマックスで、その後は一方的に落ちていくだけだった。
デビューシングルの大成功の後、3枚目のシングル"Cry Like a Baby"が全米2位になったあたりまでが活動のピークで、その後はトップ20ヒット1曲を放っただけに終わったThe Box Topが1970年に解散すると、Chiltonは単身ニューヨークへと渡り、ソロでのキャリアをスタートさせようとした。
しかし、ニューヨークではレコード会社からのオファーもなく、レコーディングを始めることすら適わなかった。Chiltonは失意のうちに故郷メンフィスへと戻り、縁故を頼ってセッション・ミュージシャンを集めてソロアルバムのレコーディングを開始する。
このアルバムはAtlanticからのリリースされる計画があったらしいのだが、結局その予定は覆り(元々シングルのみのディールだったとの説もあり)、お蔵入りしてしまった(このうちの一部は再評価後の1985年に発売された"Lost Decade"で聴くことができる)。
二度の挫折を経て、彼は最後の手段としてバンドを結成する。それが地元メンフィスでの旧友Chris Bellと組んだBig Starである。
そのバンド名に反して、あるいはそのデビューアルバム"#1 Record"というタイトルとは裏腹に、このグループは商業的な成功とは程遠いところにいたことはよく知られているが、彼らが鳴らしていた音はロックンロールの疾走感と抒情と諧謔が入り混じったポップ・ミュージックそのものだった。
これが商業的に成功しなかったのは時代の問題と言うよりは、単にプロモーションの不在に負うところが大きかったのではないか。
このバンドの不遇の理由は機会が充分に与えられなかったこと、ただそれだけのことのような気はする。
機会が与えられなかったことまで時代のせいにするのは、過剰な運命論だろう。


1980年代の半ば、R.E.M.がAlex Chiltonへのリスペクトを表明するまで、彼の名前はThe Box Topsの若きヴォーカリストとして60sラヴァーの記憶の中に留まっていただけだった。
R.E.M.の表明のお蔭でThe Box Tops以降の彼の活動に俄かにスポットライトが集まり、Big Starのレコードの再発盤や70年代のソロワークを集めたコンピレーションがリリースされたことは喜ばしい出来事だったが、この期に乗じて彼が新しくリリースした新譜はあまりキャッチーではないR&Bやゴスペルの緩いカバー集だった。
以来、一貫して彼はBig Star時代に垣間見せたソングライターとしての力量を披露することなく、一般的な基準からすると出来が悪いとしか評しようのないカバーソングをリリースし続けている。
その緩さ、ダルさに価値を見出す人間がいることは否定しないが、そこに汎用性を見出すことは困難だ。
さらに厳しいことを言えば、時間が限られている中で、夥しい数の優れた音楽が存在するのにも関わらず、わざわざゴミのような類のものを選択する必然性もないだろう。

80年代以降のAlex Chiltonを崇める人たちが考えていることは理解できるし、他人の趣味を論っても仕方ないとは思うが、それは彼がBig Starで見せたコンテンポラリーロックの未来(あるいは既に過去だったのかもしれないけれど)を否定するに等しい愚挙のような気がしてならない。
もちろん、それも一ロック・フリークの戯言に過ぎないことは重々承知の上ではあるが。

要は、巡り合わせの問題、なのだろう。


The Letter/Neon Rainbow
"The Letter"収録のThe Box Topsのオリジナルデビューアルバム。
"The Letter"以外にTop20ヒット"Neon Rainbow"も収録。
"Cry Like a Baby"は入ってません。
一枚で収めたいなら"The Best of the Box Tops: Soul Deep"あたりがお奨め(たぶん)。



#1 Record/Radio City Third/Sister Lovers
Big Starのオリジナルアルバム。
1枚目と2枚目は2in1でCD一枚に収められている(左)。
3枚目(右)は録音後お蔵入りになっていたのが、1978年にパンク・ブームで再評価が始まったイギリスでリリースされたもの。


Nobody Can Dance
2枚目と3枚目の間の期間のライヴやスタジオでのリハーサルを集めたコンピレーション。貴重な音源と言う以上のものではないけれど、"The Letter"のBig Starとしてのライヴバージョンが聴けるのが唯一の美点。


Lost Decade
70年代の未発表ソロ作品を集めたコンピレーション。R.E.M.のお蔭で世に出たようなものと言って過言ではないか。


涙あふれて / 浜田省吾 (1978) 

自分が厨房の頃、音楽に関する最も重要な情報源はFMラジオだった。


音楽に興味を持ち始めた当初は父親のお古のラジカセを使っていたのだが、中二の秋に14歳の誕生プレゼントでシステムコンポを買ってもらってからは、ステレオで鳴るFMの音に感激してFM雑誌を片手に片っ端からエアチェックしまくったものだった。
エアチェックなんて言っても、もう今時の若い人にはそれ何?おいしいの?って感じなんだろうけど、要はラジオで流される曲目をアナログの磁気テープに録音していたのだ。
テープ代はかかるものの録音はタダでできるので、金のない厨房にとってはものすごく貴重な音楽ソースだった。当時の自分の音楽体験の80%以上はFMのエアチェックによるものだったんじゃないだろうか。残りのうち10%が友人から借りるソースで、自己資金で調達したソースなんて10%もなかっただろう。エアチェックして気に入ったものの中から、どうしてもレコードで持っておきたいものを買うという形だった。

FM雑誌に曲目が載っている場合は事前に用意してタイマー録音なんてこともできるけれど、リクエスト番組だと何がかかるかわからないからずっと張ってなければならない。
DJの下らないおしゃべりに飽きてちょっと油断してると、知らないうちに次の曲がかかっていて曲名やアーティストがわからなかったりすることも多々あった。

今みたいにネットでググればいくらでも情報が出て来るわけじゃない。
ネットの通販サイトで視聴できるわけでもない。
自分の気に入った音に出会うためにかけていた労力は今思うと物凄いものがあった。
とにかくいい音楽に出会いたいという一心、というわけでもなかったのかもしれない。
全身全霊を込めてエアチェックに命をかけるという行為自体が楽しかったという側面も否定はできないだろう。



FMで最初に浜田省吾を聴いたのは最も熱心にエアチェックをしていた中三の時だった。

NHKローカルFMのリクエスト番組の今週のリクエストベスト3、みたいなコーナーで彼の新しいシングル「涙あふれて」が紹介されていたのを鮮明に記憶している(順位は定かでないけど)。
「風を感じて」がカップヌードルのCMソングになって中ヒットするちょうど1年くらい前の話だ。浜田省吾史的にはいわゆる暗黒時代に相当する頃。
広島(実際には呉だけど)出身だからというわけでもないのだろうけど、その番組では浜田省吾は妙に人気があった。
まあ、実際は親戚縁者や知人がリクエストしてただけで、広島ローカル局の番組だから10票も集まればベスト3に入っちゃうのかもしれないけど、真相は何であれ、自分は全国的には全く無名だったはずのアーティストのその曲を一発で気に入ってしまった。



ホテルのバーに座り 雨の中に消えてく 君の後姿 僕は見てる


イントロもなくいきなり始まるその曲は、メロディアスで切なく、それでいて少なくとも当時蔓延していた「ニューミュージック」系の曲とは明らかに異なる「ロック」の肌触りを感じさせた。
当時の自分は"Darkness on the Edge of Town"でBruce Springsteenと出会って間もない頃である。
"Prove It All Night"がロックなら、これもロックだ。

「涙あふれて」は何週か連続してリクエストベスト3にランクインしていた。
繰り返し聴いているうちに他の曲も聴きたくて我慢できなくなり、シングルから一ヶ月遅れでリリースされた彼のニューアルバム「Illumination」を買いに行った。

そして、自分は完璧に失望することになる。

今思えば「Midnight Blue Train」や「片思い」は、初期の浜田省吾を代表する名曲だと思うが、「涙あふれて」に魅せられた自分が求めていたのは、ポップ・シンガーやバラード・シンガーとしての浜田省吾ではなく、ロックンローラーとしての浜田省吾だったのだった。
このアルバムは当時の流行の「ニューミュージック」のアルバムになっていた。
浜田省吾自身もこの当時の活動について後に「ポップなメロディを書くこと」を過剰に求められることに違和感を感じていたと述べているが、要するにそういう時代だったのだろう。ロックンローラーではなくシンガーソングライターであることを求められる時代、だった。
自分がこのアルバムに感じた違和感は、その後追体験したBruce Springsteenの最初の2枚のアルバムに感じた違和感と同種のものだったのかもしれない。


自分が“ロックンローラー”浜田省吾に再会するのは、2年後の「Home Bound」のリリースまで待たなければならなかった。
その頃はもうエアチェックへの情熱もだいぶ失ってしまっていたが、2年前「涙あふれて」に出会ったのと同じ番組で「Home Bound」からの先行シングル「明日なき世代」を聴いた時に、それこそ♪稲妻が俺の体突き抜け♪たのだった。
続いてリリースされた「Home Bound」は紛うことなきロック・アルバムだった。
1曲目の「終わりなき疾走」は浜田省吾にとっての"Born to Run"だった(ベタだけど)。

その後の彼の飛躍は、わざわざここで書くことも無いだろう。
武道館を満員にし、アルバムチャートで1位を獲り、トレンディードラマの主題歌は200万枚を超える売上を上げるようになった。
そうした巨大な成功に、自分は興味が無いとは言わないけれど、どこか遠くまで行ってしまったという思いは否めない。
あの時、「涙あふれて」から「明日なき世代」までの2年間に彼に何が起こったのかはわからないけれど、その2年の落差を実体験した記憶こそが自分にとっての浜田省吾のほぼ全てということになるのだろう。


Illumination Home Bound

The Lunatics (Have Taken Over The Asylum) / Fun Boy Three (1981) 

ABCのエントリ以降変なスイッチが入っちゃって、Rhinoの"New Wave Hits of the 80s"を全部引っ張り出して一気に聴いちゃうみたいな黄昏オヤジぶりを発揮している今日この頃。
80年代初期というと、自分は十代の終わり。青春まっしぐらですよ。
いやあ懐かしかった。

このシリーズって、70年代の一発屋さんを集めた有名な"HAVE A NICE DAY"の80年代ニューウェイヴ版的な位置付けだと思うんだけど、一日で全15巻通して完聴という苦行の末の感想としては、今聴くとプププみたいなどーにも何かの間違いとしか思えないようなものから、時代の徒花だと思っていたのに意外といけてんじゃんと思わず再評価しちまうようなものまで幅広く取り揃えてるのがRHINOっぽいといえる。
プププなものについてはSpandau BalletとかSpandau Bal(ryとかSpandau(ryとか一々固有名詞を挙げても意味ないのでよしとくけど、それにしてもSpand(ryのプププぶりは当時から際立っていたとは言え改めて聴くとものすごいものがある。音楽でここまで人を笑わせられるというのはある種の才能だ。

てな話をし始めると止まらなくなるので、この辺でやめといて、本題。

Fun Boy Three


意外とイケてると思った中の一つが、Terry Hallが率いてたFun Boy Three。
ポスト・パンクの一つの潮流となったスカブームの立役者The Specialの片割れでありながら、前身とは全く異なる、よく言えばバラエティに富んだ、悪く言えば焦点の定まらない音楽性が、Terry Hallの独特のパーソナリティと相俟って賛否両論を呼んだニューウェーヴ・ポップ・ユニット。
ニューロマやブリティッシュ・インヴェージョンが花開く前のイギリスのポップ・フィールドでそこそこの商業的成功を収め(6枚の全英Top20ヒットを輩出)、一部のスノッブな評論家(今野雄二とかw)からは高い評価も受けたけれど、全体としては地味な位置付けということになるのではないか。

Terry Hallというと、この後に結成したThe Colourfieldのファースト"Virgins & Philistines"は結構気に入ってたのだけど、Fun Boy ThreeはDavid Byrneがプロデュースしてたりして今野雄二銘柄だったのでバリバリのロキノン派だった自分としては評価しづらいところはあった。
じゃあ嫌いだったのかというとそうでもない。
自分の記憶が確かならアナログで2枚目のアルバムを持っていたはずである。
「はず」というあたりに自分のいい加減さが表れているが、少なくとも"Tunnels of Love"とか"Our Lips Are Sealed"を自宅のステレオで聴いていた記憶はあるので、何らかの形で音源を所有していたのは間違いない。
今野雄二が褒めてたのに自ら進んで聴いてたということは、本当は相当好きだったということなんだろう。
20余年の月日を経て、ようやくわかったよ。
てゆーか素直になっただけか。遅すぎるけど。


Amazonではオリジナルアルバムは全てsold outになってて落胆したのだが、HMVでチェックしたら2枚目の"Waiting"だけ生きてたので速攻ポチ買い。
3枚買うと15%引きで879円になるのでPaul Collins' BeatとThe Belle Starsのコンピレーションも合わせて買ったのは内緒だ。
どっちも結構いいじゃんと思ったのは更に誰にも言えない秘密。

"New Wave Hits of the 80s"のシリーズにはThe Lunatics (Have Taken Over the Asylum)(Vol.11)と"Our Lips Are Sealed"(Vol.12)が収録されている。
最大のヒット曲である"Tunnels of Love"が入ってないのがいかにもRHINO的。

"The Lunatics (Have Taken Over the Asylum)"は彼らのデビュー曲で、単調なエスニックビートに乗せた単調なマイナーメロディーで「基地外が精神病院を支配している」とほとんど名誉毀損並のサッチャー政権批判を歌うというなかなかにシュールな曲。
ひょっとするとAdam & the Antsあたりに影響を与えたニューロマの先駆的な見方をされてるのかもしれないけど、多分過大評価だと思う。
自分が今回聴き直して改めて惹かれたのは、このイカサマなエスニック・サウンドこそがTerry Hallらしさを象徴しているような気がしたからだ。The Colourfieldのひねたポップ・グルーヴの根っ子にはどーにも陰気なやる気のなさがあるということに改めて感じ入ったというべきか。

考えてみれば、ポスト・パンク・シーンの中で、エモーショナルでオールドファッションなバンドのフロントマンとして一世を風靡し、将来を嘱望されながらセカンド・キャリアで周囲の期待から背いて自らの趣味性を強く表に出した活動で批判を受けた、という見方で捉えると、Terry Hallの歩み(少なくともSpecials脱退後まで)はPaul Wellerのそれと類似すると言える。
実際、Terry HallはPaul Wellerのポジションを獲りたかったんじゃないかと思わないでもないし、Style CounsilとFun Boy Threeを比べたら、その当時の評価とは逆に、創造性という点ではFun Boy Threeの方に軍配が上がるのかもしれないと思ったりもするけれど、結局のところTerry Hallには真剣さが足りなかったんじゃないかと言う気がしてる。
Paul Wellerはシニックでありながらも、リヴァイヴァリストでありハイフライヤーでもあったけれど、Terry Hallは徹頭徹尾シニックであり続けたってことなんだろう。
比較的批評家からの受けも良かったThe Colourfieldでの活動にしても、そのクォリティの高さを評価する声はあっても、Terry Hallを次代のポップ・アイコンとみなすような声はほとんど聞かれなかった。
あのクォリティをそのまま受け取ればPaul WellerでもRoddy FlameでもGeorge Michaelでもなく彼こそが1980年代のポップミュージックをドライブしていく天才なのだと、勘違いする人間が多少はいても不思議ではなかっただろうに。
そういう評価を瞬時に拒否させるような、圧倒的な緩さといい加減さがTerry Hallにはある。
次代を切り拓き、時代を引き受ける覚悟などとは無縁の場所に、彼はいるのだろう。
だからこそ、長く活動を続けられているという面はあるに違いない。



完全な余談だが、"Fun Boy Three"でググると比較的上に出て来る音楽系のポータル、エキサイト・ミュージックでも、goo音楽でも「ファンボーイゼア」になってる。
gooに至っては英語表記まで"Fan Boy There"だ。
さすがにちょっとひどくない、これ?


New Wave Hits of the '80s Vol.11 New Wave Hits of the '80s Vol.12
RHINOの"New Wave Hits of the '80s"。
80年代ニューウェーヴポップを語る上で欠かすことができないコンピレーション。
無理して語る必要もないと言われたらそれまでだが。



Fun Boy Threeのファーストアルバム。
Amazon.comでなら買える。買わなくていいと思うけど。


Virgins & Philistines
2ndの"Waiting"。
デビュー当時から比べると割とフツーのソウル・ポップ方面に走りつつも、エスニック風味は残しつつ、スカっぽいノリも復活させたりして、ちょっと風変わりなサイケ・ソウル・ポップみたいな感じに纏めてるんだけど、よく聴くと次のThe Colourfieldで花開くアコースティック・ポップ路線の片鱗が垣間見えたりして興味深い(やや強引)


Virgins & Philistines
The Colourfieldの1st "Virgins & Philistines"。
"Thinkin' of You" "Can't Get Enough of You Baby" "Take" "Castles in the Air"と80年代ギターポップを代表する名曲が満載(大嘘)。
何故廃盤なのか、理解に苦しむ。



Virgins & Philistines
Terry Hall名義での初ソロ。
The Lightning Seeds、Echo & the Bunnymen、The Bluebellsのメンバーがバックを固め、Andy Partridge、Nick Heyward、Damon Albarnが曲を共作した、ニューウェーヴ・ポップ・オールスターズみたいな作品。
割と最近だと思ってたらもう10年以上も前だった(1995年)。
これもsold out。Terry Hall復古主義者にはかなりアゲンストな感じ。
とりあえずTerry Hallの音楽活動を振り返るならこれなんか結構いいんじゃないか。


Puttin' On the Ritz / Taco (1983) 

今回はAC/DCについて書く予定でしたが、このペースでいくと一生かかってもZZ TopやFrank Zappaについて書けなくなってしまうので、アルファベット順はやめにします。
すいません。



前エントリで80年代のMTV系一発屋のビデオクリップを漁ってて面白いものを発見したので紹介しときます。

曲はTacoの"Puttin' On the Ritz(踊るリッツの夜)"。
オリジナルは1929年にリリースされたFred Astaireの曲ですが、彼は1946年の映画「ブルースカイ」の中でこの曲に合わせて見事なダンスを披露しています(曲は口パクだと思いますが)。

その映像がこちら。


(たぶん著作権切れなので大丈夫)


曲をTacoバージョンに変え、Fred Astaireがそれに合わせて踊っているかのようにリメイクしたのがこちら。


(著作権的にはかなりヤバい)

すげーっす。
ホント、うまくできてます。
まるでFred Astaire本人が歌ってるみたいですな。


これだけじゃアレなので、蛇足ですが、曲について補足しときます。

この曲は、"White Christmas"や"There's No Business Like Show Business"などで知られる戦前のティンパンアリーを代表する名作曲家Irving Berlinが1929年に書いた曲。
Fred Astaireのバージョン以外にもHarry Richmanという人が歌ったバージョンもかなりポピュラーで、1930年に彼の主演でこの曲を主題にした映画も作られたようですが、演技力が足りなかったために逆効果となりその後は泣かず飛ばずとなってしまったとのこと。→"Puttin' on the Ritz - Wikipedia"参照

カバーバージョンをヒットさせたTacoは本名Taco Ockerse。オランダ人の両親の間にインドネシアで生まれた西ドイツ国籍のアーティストで、このTacoバージョンはビルボードで4位まで上がるヒットとなりました。
これ以降彼の曲でビルボード100にチャートインした曲はありません。
かなり由緒正しい一発屋です。
一つ前のエントリにも書きましたが、プロモーションで日本に来た時、テレビ番組(「笑っていいとも」という説多し)で蛸を食べさせられてたというエピソードは結構有名。てゆーか、それ以外あまり語ることが無かったりします。
このカバー・バージョンはチープだけど、怪しげな無機質性をうまく演出していて悪くない出来だと思うんで、この曲がここまで売れちゃって色物視されたことが却って徒になってしまったような気はします。
それがどれだけの損失を音楽シーンにもたらしたかというと極微小ではあろうかとは思いますが。
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